□2002年08月05日
世代の交代が時代を進ませてきた
「河野太郎氏が父に引退勧告」の新聞記事が世間で話題になっている。
ドナーとなった長男の河野太郎代議士が、父の河野洋平元外相に、
病後もあり引退を迫ったと言う。現代のわが国の最大の議題である
「構造の改革」は、ある意味で「世代の交代」と同義である。
「世代の交代」は戦いである。よってこれに勝ち進まないと「構造の改革」
も進捗しない。
理由は二つある。
一つ、体制側が次代の台頭を許そうとしないからだ。
そして、次世代には体制粉砕の気迫が無いからだ。
世代交代には激しい戦いがあって当然であろう。
歴史はそうやってつくられてきた。
自民党を飛び出し新自由クラブをつくる。戦争謝罪をした官房長官。
ただ一人首相にならなかった自民党総裁。
是非はともかく。
政治の重要な局面に洋平氏は登場してきた。
まだまだやり残していることがあるかもしれない。
実際、彼でなければ出来ないことがあるかもしれない。
しかし、歴史を概観したとき、「世代の交代」は必定であった。
旧弊打破の気迫ある太郎氏の勇気ある発言に、称賛の拍手を送りたい。
洋平氏はどう応えるのだろうか。
瀕死の日本が、今何よりも必要としている戦いである。
□2002年02月10日
▼「1945年8月15日、日本は戦争に敗れた。
とても広範囲で巨大な戦争だったが、連合国の完全勝利に終わった。
新しい世界秩序が形成されたのは知っているとおりだ。
その後今日まで約55年間、世界は平和を目指してきたはずなのに、
やはり随所で戦争・紛争が起きた。
世界には約200もの国家があるが、この55年間、
まったく戦争・紛争に無縁だった国は
いくつあるのだろうか・・・。
10だ。
たったの10カ国だけなのだ。
その中にわが国は入っている。」
▼私は過日の政経の授業の中で以上のような話しをした。
日本が平和なのは誰もが知っている。ほとんどの子供に家族がある。
戦争に行ったとか戦争で死んだとかそんな人の話など聞いたこともない。
絶望的な飢えを経験したこともない。
経験した人を聞かない。
平和は豊かさも生み出した。
自動車がある。
テレビがある。
クーラーがある。
しかも家に何台もある。
そもそも自転車が年間所得の何倍もの価格という国は
世界にざらにあるのだ。
わが国は食べたい時に食べられ、楽しみたい時に楽しめる・・・。
しかし平和と豊かさの享受は世界では稀なことだということを学生たちに私は話した。
圧倒的に多くの国家が途方に暮れている時我々は笑っていたということも、
学生たちに私は訴えた。
▼わが国を平和で豊かにしてきたディバイス(仕掛け)は一体何であったか。
授業は続くが、それに言及することがここでの私の目的ではない。
私が話さなければならないのは、平和、豊かさ、そしてわが国における
際立った特質がもう一つあるということだ。
チャンスである。チャンス(chance)は偶然、運、機会、可能性などと和訳される。
しかし私はもう日本語になりかかっているこのチャンスという言葉はチャンスとしか
訳しようがないような気がしている。
日本にはチャンスがあるということを是非ここで話したい。
今日、日本の教育が多くの問題と困難を抱えていることは私もよく知っている。
一般的に日本の教育システムは内外から最もよく批判されるジャンルだ。
事実私も手をこまぬかず教育改革を大胆に果たさなければ、
日本は滅茶苦茶になってしまうとまで思っている。
▼しかし日本の教育がどうであれ、チャンスは厳然と存在している。
国民は若者に与えられているチャンスという素地を否定していない。
近隣諸国で言えば、中華人民共和国にも朝鮮民主主義人民共和国にも
これは存在しない。
政府の高官の子弟にはチャンスはあるかもしれないが・・・。
旧ソ連にもチャンスは存在しなかった。
ノーメンクラツーラと呼ばれる特権富裕層は他へチャンスを与えなかった。
自らの永久の発展だけを望んだからである。
▼チャンスは特権的な一部のものに与えられているだけである。
前例と既成に支えられた既得権にしがみつく彼らは変革と前進を
保身のためにつぶそうとする。
あえて言えばチャンスは米国には確実に存在しているが、
やはり世界でも稀なことである。
わが国には、平和、豊かさ、チャンスといった他国にない3つの特質があるということを
胸に刻んで欲しい。
▼日本の教育システムは、先に述べたように確かに多くの問題と
困難を抱えている。
しかし、そんな状況の中でも、日本の若者の各々にチャンスが与えられているということは、
私は全く魅力的であり、日本の教育に暗黒的な絶望をもたらしていない要因と断言したい。
大きな家に住んでいようとなかろうと、親がどんな仕事に就いていようと、
出身がどこであろうと、男であろうが女であろうと、何を信仰していようと、
現代の日本の教育システムの中の入学試験を筆頭にした挑戦というステージは、
このことを殆どどころか全く気にはしていない。
気にする必要がない。
気にされるのは切り込み挑戦してくる若者の実力だけなのである。
▼時代は新世紀に突入した。
テクノロジーは前人未到の領域に日々到達している。
経済のグローバル化は急速さを増している。
政治も後追いに必死にならざるを得ない。
こういった時代の変革期に真に求められるのは、尋常ではない、相手に自分の
実力を堂々と見せつけることのできる若者であり、彼らの限りない挑戦と言える。
だからチャンスこそ必須条件なのだ。
私はわが国が他に類例を見つけることの出来ないチャンスに満ちた国だ。
ということを話したし、よくわかってもらえると思う。
チャンスを自分のものとし、
掌中におさめて欲しい。
▼アメリカのあるコングロマリットが新聞に載せた広告に次のような文章がある。
「小学校しか出ていなかった。上院議員選挙に二度落ちた。
下院議員選挙に二度落ちた。会社を三度つぶした。
でも彼は知っていた。自分にチャンスがあることを。
いつも希望に満ちて彼はサインしていた。エイブラハム=リンカーンと。」
チャンスをものにし飛び出してくる若者を、日本と世界が息をこらしてまっている。
□2002年01月27日
旧年後半は、ウィルスにやられっぱなしで本当に苦労した。
私は昨年、わが国映画史上空前の大ヒットとなった「千と千尋の神隠し」
を家族とみた。
私の教えている予備校生の中には、「5回見た」という者もいたが、
多くの日本人を強く感動させた稀な映画であることは間違いないはずだ。
不覚にも涙を流してしまったり、また何とも清々しい気分を味わったり、
この映画を見ることは、私が失いかけているものを呼び起こしてくれる
とてもありがたいチャンスだった。
この映画は、主人公の千尋が舞い込んでしまった神の世界で、
一生懸命に働きながら人間として成長していく様子が中心に描かれてる。
目的はたった一つ「父と母を取り戻したい」だった。
千尋がこの世界で職を得る時、そして、人間界に戻る時の2つの重要な局面で、
絶対権力をもって職場を支配する魔女ですらも、
「契約」を守らなければならないのだという場面が出てくる。
この「契約を守る」ということは、王権神授説を打破しようとした啓蒙思想家たちが
17世紀に命がけで訴えたことだった。
現代議会政治においては「選挙公約を守る」ということ。
「契約を守る」=「公約を守る」ことは、民主主義や議会政治において、最も大切なルールのひとつだ。
ところが、日本の政治においては公約破りが横行し、マスコミも有権者もそれを強く咎めようとしなかった。
これは日本の民主主義が未成熟であり、国民の意思が政治に正しく反映されていないことを意味する。
小泉首相が登場し、政治が変わり始めたと言われる。
真の政治家を選んでいるのは、あるいは選ぼうともしないのも、
私たち国民・市民なのだ。
国政、市政を問わず選挙で本物の政治家を選び、憲法が謳う「主権在民」どおりの
日本にしていこう!
□2001年09月25日
●タイムマシンはないから、その時代へたどりゆくことは到底出来ない。
けれど、「同時多発テロ」に揺れるアフガニスタンと米国との様子を見ていると、
約60年前の日米の非常によく似た関係を彷彿させる。
私たちはその時代の様子を見つめることが出来るのだ。
●「なぜ彼らはジハード(=「聖戦」)を選ぶのか?」とテレビキャスターは
叫んでいる。私たち日本人も約60年前「特攻」を選択したのだ。
戦力構図が非対称の時、圧倒的な容赦の無い攻撃の受け身側は、
正義の戦いの名の下、精神を極端に昇華し、「聖戦」や「特攻」は選択されるだ。
●しかし、いつだったか、小泉首相が知覧の特攻記念館を見学中に、
「無念であったろうに・・・」と涙で頬を濡らしていたように、
後世あの戦いの手法は決して価値あるものとされていない。
あんな戦闘方法はクレイジーとしか言いようがないのだ。
「無念であったろうに・・・」という思いに力点が置かれ、感涙を多くの後世の国民から誘っているのだ。
●一方、米国の60年前の手法は評価されているのだろうか。
沖縄島民の1/3を地上戦で殺戮し、日本中を焼き尽くし、広島で20万人、長崎で9万人の人々を殺した。
その後の国際平和組織(=国際連合)の運営は、戦後57年経っても、当時の戦勝国中心主義だ。
米国はいつまでもいつまでも世界のリーダーであり続けようとするのだ。
●米国と日本、米国とアフガニスタン、60年経ってまた同じことが行われようとしている。
□2001年07月28日
いよいよ明日7/29(日)は、合併・政令指定都市へ向けての住民の意思を問う「住民投票」が行われる。
私はこのところ連日、上尾駅駅頭でマイクでみなさんに、
「賛成に○をつけていただけますように」とお訴えをさせていただいている。
また今日は、次のような内容のチラシを、上尾駅東西口で、スタッフとともに2500枚配らせていただいた。
明日も駅頭に立ちたいと思っている。
私が長い間取り組み続けてきたこの問題に、みなさんのご理解を賜りたく存じます。
本日配ってきたチラシ「変えなくっちゃ!上尾17号」の内容を全文残しておこう。
扉を開けろ!
広域合併で未来を切り開け!
合併賛成に○を
公約違反に鉄槌を
★私は、昨年二月、上尾市長選挙に立候補した浅野目です。
2万票に至らんとする大量票を頂戴しながら、
1年5ヶ月前、新井弘治氏に敗北しました。
★新井氏は市長選挙に当たり、私同様「政令指定都市の推進」を掲げていました。
(このチラシ裏面に両者の選挙公報掲載)。
政治家が嘘をつくか否か、公約を守るか否かで、当然厳しく市民からの評価は決定されます。
★許せないことに、初めからヤル気の無かった合併構想だったのです。
口では言っていたこの合併政令指定都市問題は、事実、前任期中の4年間も1ミリも進みませんでした。
★ウソの公約を選挙に利用した市長には、厳しい追及がされて当然です。
7月29日は第2の市長選挙です。市民の怒りの声を、投票にぶつけてください。
構造改革上尾から
★合併をすることの危機を訴えるために、上尾市は広報紙を過日発行した。
同紙の「借金は他市と比較して少ない」という内容を見た多くの上尾市民は、本当に笑っていた。
旧大宮、与野、浦和の3市の各々の借金総額を足したものとの比較だったからだ。
★上尾市には1000億円を超える借金が厳然と存在している。
マヤカシの他市との比較で市民をダマそうとするのも結構だが、
わが国全体の構造改革という視点は、一体どこにあるのだろうか。
★日本の予算総額は、約85兆円。
累積の国債総額(借金)は670兆円。
日本の危機をどうにかしなければと、全国民が思っている。
上尾の北でも南でも、合併を起爆剤にして、財政強固を図ろうとしている情勢の時、
どうして上尾だけの自立が果たされるのだろうか。
□2001年06月04日
第3回「日本再生フォーラム」が今週の土曜日に開かれる。
講師 浅野目義英(元上尾市議会議長・大宮予備学校専任講師)
演題 「地方を再生させ日本の迷走を救え/都市合併と青年の役割」
日時 平成13年6月9日・土曜日・午後2:00〜3:30
場所 「大宮JACK」6F
□2001年04月22日
短い10日間という期間だったが、私も100人を超す方々の署名を集めさせていただいた。
私は現在夜10時までの勤務なので、少しずつ時間をつくりながら集めさせていただくより
他に方法がなかったが、多くの方々に署名を頂き感激だった。
私が乗って帰ってくるニューシャトルの原市駅で、ハンコとペンを持って待っていてくださった方もいた。
また一軒一軒お邪魔をさせていただくと、この運動に対する激励や上尾市に対するご不満の意見などの
お話をいただくことができた。
そのことはすべて私の血となり肉となった。
「住民投票を実現する会」(北西隆夫会長、星野理一幹事長)によると
「実質わずか13日間で必要署名3416名(有権者の50分の1)の約3倍にあたる10786名もの数を集めた」とのことだ。
素晴らしい成果だと思う。
上尾市はこの合併問題に一体どれくらいの時間を浪費してしまっているのだろうか。
正面からの議論や決断が先送りで、遂に市民が立ち上げる所まできてしまった。
上尾市の未来のデザインづくりをする仕事から新井市長は逃げ続けてきたのだ。
また署名に関わった市民が、「生活に支障が出る」という圧力を市から加えられるという前代未聞の事件も起きてしまった。
「いかにも新井市長のやりそうなこと」「困ったものだ」と市役所職員からため息声も出ているようだ。
市長の性格をよく知っている市民の多くは、
「ハナから合併は自分に利得が無く、やる気も何もまったくないんだ」とよく見抜いてはいた。
しかし平然と「合併賛成」「4市1町は理想の都市圏」などとこれまで語り続けていたのだった。
あの市長選挙の時も、「政令指定都市に参入することを賛成」と表明していたのです。
あの時から考えるとこんなフローになるのだろうか。
選挙で当選したかったから嘘をつき続けた(=合併推進派の票も欲しかったから)
→しかし事態が本当に合併推進に向かうとあせりだし
→今度は合併反対のためにどんな手段でもとることにした。
たとえ脅しでも→選挙が終わって1年、厚顔無恥と言われても結構「合併反対」を発言する。
偽政者の身勝手な都合、悲劇的な発想で市民の要望がつぶされてはたまらない。
□2001年03月10日
●5月1日に3市が合併して、さいたま市が誕生する。
日本で13番目の政令指定都市を目指して、充実した巨大都市が動きだす。
ヒト、モノ、カネ、情報がこの圏域に集中する。
どこのことでもない。
私たちの住んでいるまちのすぐ隣での出来事だ。
同窓会や結婚式は、専門書を探すのは、映画を見るのは、家族で食事をするのは、
恋人たちが出会うのは、学ぶのは、咲き乱れる花を見つめ深い森を歩くのは・・・・・
みんなをあっと言わせてくれるすぐ隣の巨大都市に出かけてみることが多くなるはずだ。
●上尾は住民の熱い要望があったものの、3市とともに合併することがかなわなかった。
政治の停滞だった。
上尾のどこへ言ってもこのごろ「政治がひどい」という声をよく聞く。
市長は動かない。
かつての市民の立場に立った「上尾をどうする」という声が聞かれない。
頑張っているのは、市長と同じことを考えないという原則を貫いている一握りの議員だけだ。
●上尾のデザインづくりのために、市民が立ち上がるしかないという事態に至っている。
「住民投票を断行しよう」という人々が結集している。
民の声無き上尾政治への怒りだ。
私は、この署名活動の受任者(署名を集める人)になり、今皆さんへ署名のお願いに東奔西走している。
□2001年02月08日
▼「古い体制は親の敵」と言い放ち、日本の因習にとらわれた封建制度を打倒し
近代化を飛躍させようと格闘した先学思想家福沢諭吉(1853〜1901)。
正に彼の死の直後20世紀はスタートしたのだった・・・。
先の100年間で、福沢の夢は果たされたのだろうか。
次の100年間では、つまり今世紀には福沢の夢が果たされる未来が
待っているのだろうか。
▼私は現在予備校で働いている。
議員生活の時と遜色の無い
本当に忙しい所で飛ぶように毎日が過ぎていく。
しかし若い時からいた議会を離れ、予備校で働きながら、
夢持つ若者たちを見つめ、私はあることに静かに気がつき始めている。
離れたからこそわかったことと言えるかもしれない。
議会にも予備校にもどの世界にも、
「攻撃目標」がはっきりわかっている者、
そうでない者の二つに大別される人々がいるのだなあということだ。
「攻撃目標」という言葉が過激なら、これを「目的」という言葉に代えてもいいかもしれない。
「夢」や「希望」という言葉となると理解しやすいのかもしれない。
▼福沢諭吉は北里柴三郎が好きだった。
彼は留学先のコッホ研究所で、誰も成功させることのできなかった破傷風菌の純正培養に成功。
破傷風は当時裸足で歩く農民やケガの多い兵士に多発していた難病だった。
また破傷風菌の免疫療法も確立させ、師のコッホを驚嘆させる。
同様の原理を進め、彼はコッホの弟子仲間のベーリングと共同してジフテリアの血清療法を発表。
多くの人の命を救う画期的治療法を開発した業績によりノーベル賞が与えられる。
しかし信じられないことに受賞はベーリングだけにだったのだ。
極東の貧しい国日本の細菌学者の価値は低かったのだ。
ドイツから帰国した北里を、優れた仕事の数々にもかかわらず、母校の東大は受け入れなかったし、
政府は冷たくあしらった。
福沢諭吉だけが北里柴三郎を評価し彼を称えた。
彼に伝染病研究所を与え熱心にサポートした。
彼の情熱をわかり、彼が激動のわが国に必要だということを福沢は誰よりも知っていたのだ。
▼リアル(=純粋)になって挑戦すればするほど、変わったヤツ(=異端)にされていく。
それを理解し助ける者もいない。
100年前の細菌学者北里柴三郎、先ごろの自由民主党改革者加藤紘一に対する
周囲の圧力を知るほど、わが国はこの100年本当に何も変わっていないのではないかと思ってしまう。
情熱をもち既成を打破し改革しようと挑戦してきた人々は、次から次へ登場はしてきた。
しかし一方、次から次へ理解されず弾圧されてきたのだ。
いや理解されても無視もされてきたのだった。
▼伝染病研究所でペスト菌を発見するなど世界に誇る金字塔の仕事を
したのにもかかわらず、北里のこの研究所は政府、文部省、東大に
乗っ取られてしまう。
海外の名門研究所や大学からの招聘を断り、
日本の人々の幸福のために帰国したのに、
彼を待っていたのは絶望的な周囲の無理解だった。
気が狂っているとしか言い様の無い、公共投資漬けの財政を改革すると
叫んでいたにもかかわらず、加藤の行動は攻撃と離反を続々生んでしまっている。
国家衰亡の危機から脱却する森喜郎内閣不信任案を支持する国民の声は熱かったのに、
彼を待っていたのも絶望的な周囲の無理解だった。
▼無意味な非難に目もくれず自らの挑戦を繰り返している人たちは、
日本にどれくらいいるのだろうか。
正に攻撃目標がはっきりわかっている人々だ。
私は願いたい。
彼らに賞賛の嵐を送って欲しいと。
挫折を乗り越え夢を求めて一歩一歩前進をし孤高の戦いをしている
彼らこそが、世の中を変えていくと確信されないだろうか。
どの世界にも、「攻撃目標」がはっきりわかっている者、
そうでない者の二つに大別される人々がいると、先に私は書いた。
わが国に一番必要とされるのは、前者の存在であり、
そしてまた前者を守り育て支える勢力の形成なのだ。
▼予備校にも、医学の世界にも、政治の世界にも、スポーツの世界にも、
どこの世界にも、そこに立つだけのために生まれてきた人たちがいる。
そこで戦うだけのために生まれてきた人たちがいる。
彼らを理解せず、自分は戦わず中心にのんびりいる方が安全で、
彼らに無謀なことは止めろと言い、彼らを無視することが、
自分の幸福に直結すると信じている人たちは、何と絶望的な寂しさを信じていることかと思う。
新しい時代をつくりあげるキーは、戦いを忘れないことであり、戦っている
人たちに力一杯手を振って応援することなのだ。
□2000年12月31日
●紅白歌合戦を何年ぶりに見たのだろう。
SMAPの真ん中ではホンダ製のロボットが出てステップダンスをしていた。
小柳ゆきは18才とは思えない天を突らぬくような声を隅々に届かせていた。
私たちの周りをどんな科学技術がこれから取りまくのかを予感させてくれた。
何者にもとらわれない自分の力を信じる世代の力強さが私の胸を締め付けた。
●私は今年の2月、「どんなに相手が強くても戦いたい」と意思表示し、
上尾市長選挙に出馬した。私の非力で敗北をしたが、
上尾の政治改革運動に挑戦してきたことに対していささかの後悔もない。
●いつもは無口で黙々と満員電車にのっているようなサラリーマン、学生、労働者が、
静かに選挙で異議申し立てが出来る世の中にしなければと思っている。
来世紀の政治は、公共事業のような部分利益の配分にかまけていることは絶対に許されまい。
共通利益=全体利益の維持こそが切実に問われるだろう。
●右肩上がりの成長時代はとっくのとうに終わり、受益と集票のギブ・アンド・テイクシステムの
「組織の時代」も確実に過ぎ去ったはずだ。
●お世話になりながら、厳しかったこの一年間はご恩返しが何もできなかったことを
みんなにお許し頂きたいと思う。
●一番苦しかったときに、私と私の家族を助けていただいた皆様に、
大きな声で感謝の「ありがとうございました2000年」を伏して申し上げたい。
間もなく感動の21世紀がやって来る。
□2000年11月12日
オイルショックが起きた時のことを覚えている。
●石油価格が高騰して、あの時巨額の原油売上代金が産油国に入っていった。
いわゆるペトロダラーと言われているものだ。
その金を産油国は自国のために相当使った。
余りにあり過ぎて使い切れなかったのだ。
●そのため彼らはこのペトロダラーを先進国の銀行に預けた。
しかし、先進国は石油価格値上がりのために、当時すごく不況だった。
だから産油国が銀行に預けた金を借りて、設備投資をしようなんて言う
企業はなかった。
そこで困った銀行は金を借りてくれる所を必死にさがした。
●先の情勢とは全く逆に途上国は、原油価格に連動した一次産品の値上がりで
うなるほど金をもっていた。先進国の銀行は途上国にドンドン金を貸し込んでいった。
●これが現在国際的な問題になっている「累積債務」を引き起こした
構造的な背景だろう。
1996年でその総額は1兆94億ドル(=約200兆円)。
メキシコ、ブラジルが、デフォルト(=債務不履行)、つまりお手上げになって
しまったのは、記憶に新しいところだ。
国をつぶすに等しい額を借金として背負い込んでしまったのだ。
●しかし視点を変えるともっと恐ろしいころに気がつく。
当時のわが国自体の累積負債残高が210兆円だったのだ。
そして4年経った現在のわが国の累積負債残高はなんと660兆円だ。
上尾市の約1100億円も含めてどれだけ莫大な金額なのかを冷静に深刻に
考える必要がある。
私たちの後世代のために。
□2000年10月03日
「美しい月を見上げながら、あの上尾市長選挙のことと、
上尾の未来について、お話に花をさかせましょう。」
というスローガンの下、「お月見の會」を9月30日(土曜日)、開かせていただいた。
65名の方々のご参加者をいただき大変な盛会となった。
「上尾のまちを変えなければいけない」「この挑戦は続けていこう」などの熱い会話で盛り上がった。
途中、私から、来年の2月4日に著書「あたらしいうたを歌え!」の出版記念会を、
開催したい旨の挨拶をさせて頂いた。
フィナーレは、次世代市長の会の「変えなくっちゃ!上尾」の大合唱となり、幕を閉じた。
□2000年09月06日
あさのめ後援会、えがおくらぶ、次世代市長の会、合同主催「お月見の會」のご案内
上尾市長選挙から半年・・・。
明るく団結強固だったスタッフのみなさん。
選挙には関わらなかったけれど心の中で応援してくださったみなさん。
お元気でいらっしゃいますか。
あの時は本当に燃えましたね。
あの時のみんなに会いたい。
そんな声がでました。
美しい月を見上げながら、あの選挙のことと、上尾の未来について、お話に花をさかせましょう。
●日時 2000年9月30日(土曜日)夕方6時30分からスタート
●場所 巴屋(ともえや) 上尾市東町3丁目
※上尾水上公園入口正面/約50台の駐車場有/会費5000円
☆浅野目に会ったことのある人無い人も、次回完全勝利を考える方☆
☆上尾市の構造改革を断行しなければいけないと思われている方☆
☆お気軽に是非お越しください。当日は老若男女が結集いたします☆
出欠のご連絡を下までお願い申し上げます。既に頂いている方ご免なさい。
□2000年08月02日
夏のギラギラの太陽の日差しがまぶしい。
□2000年07月23日
週間ダイヤモンドが上尾市長を酷評!
週間ダイヤモンド(5/27号)に、こんな記事が載せられていた。
●「吸収合併では納得しない」上尾市長発言の衝撃●
去る4月11日には、政令市への移行を検討する三市合併協議会の第四小委員会に、
上尾市長がオブサーバーとして出席したが、そこでの市長の発言は関係者に衝撃を与えた。
大宮市の松本敏雄委員が「上尾市長の政令市のビジョンについて」と質すと、
新井弘治上尾市長が答えた。
「おれたちについてこいだけでは、上尾市民が納得しない。何が何でも合併ありきではない」
かねてから「新井市長の本音は合併に反対」(上尾市議)とみる向きがあったが、
松本委員が質問に際して、
「首長の自主性、主体性をもっと積極的に出して欲しい」と前置きしたことで、思わず本音が出た格好だ。
与野市の井原市長は「これからの問題の進め方で、上尾市長の発言は物議をかもすよ」
浦和市の相川市長は「大宮には、上尾と伊奈が必ず新市に合併するという確信のようなものがあるが、
上尾市長のあの発言を聞いて、あながちそうではないことがわかった」
他市の首長から相変わらず、失望と失笑をかう上尾市長のようだ。
そうそう余談だが、大宮市の松本委員に「上尾市長の政令市のビジョンについて」と聞かれて、意味がわかっていたのかな。
と私は思うのだ。
多くの関係者が知っているが、新井氏は最近までビジョンのことをピジョン(鳩)とまじに冗談抜きで言っていた・・・。
そして10数年前までは「上尾市のピジョンってどういうことだい?」と聞くことがよくあったそうだ。
上尾市長は市長選挙の時も、「政令市は4市1町でなければならない」とチラシに記していたのは、ご存知だろうか?
私からの攻撃の矛先を避けるためのウソだったのだろうか。
なぜ、公約どうり邁進しないのだろうか。
□2000年07月05日
可愛がってくださる方にさしあげたい。
とってもカワイイ。
1.しろにちゃ4/21生まれ
2.しろにくろ4/21生まれ
3.ぜんぶくろ6/9生まれ
みんな男の子です。ぜんいんトイレしつけ済み。
□2000年06月25日
政治を絶対にあきらめないで下さい!と私は言いたい。
そして次のようなことも言いたい。
★投票時間は7:00から20:00までだ。
上尾市長選挙の時の投票率は39.5%で、
投票に行かない人は10万人にもなった。
今回は今世紀最後の衆議院議員選挙。
政治の良識が問われ、政治家の信頼が絶望的に失われている昨今だが、
私たちが政治を見放してしまったら、政治は暴走、独走してしまう。
もうすでにそういう傾向が見られる。
政治を絶対にあきらめないで欲しい。
★投票用紙は4枚。
衆議院議員小選挙区(個人名)、
衆議院比例選挙区(政党名)、
埼玉県知事、
最高裁判所裁判官国民審査(罷免したい裁判官に×)。
雨が降っていても、選挙に行こう。必ず投票しよう。
政治の暴走、独走をみなさんの一票の力で阻止して欲しい。
□2000年05月06日
▲今日は、「さいたま新都心」の街びらきがあった。
さいたまスパーアリーナで盛大な記念式典が行われるなど、歴史的な幕開けだったようだ。
この新都心のオープンは、言うまでもなく、巨大な3市合併の起爆剤になるものだ。
▲私はラジオから流れるB'zの曲を聴きながら、会場近隣を車で走っていた。
全く感無量の思いが胸に去来していた。
「都市が融合し合い、強固な連合から、やがて合併へ向かうはずだ。またそうならなければ都市は蘇生しない」
と私は確信をもち10年以上も前から、市議会で言い続けてきた。
「特に、埼玉では43もの市49もの町村がひしめき合い、施設が無駄に競合し合い、
公務能力の著しい低下が現象として必ず現れる。
それは次世代の両肩に異常な圧迫を強いるはずだ」とも訴え続けてきた。
▲私の考えが現実になったものの、私のデザインと決定的に違う結果になってしまったのは、
「ここに上尾が参加していない」ということだ。
▲この旧3市エリアは確実に伸びやかな発展と続けるはずだ。
私が予見し危機を訴え続けてきた「上尾の深刻な空洞化」という事態が的中しないことを、
真剣に祈るばかりだ。
□2000年04月04日
上尾市議会3月定例会も終わった。新井市長は、政令市についての
積極的な発言を何らすることなく、議会は終了したということだ。
過日、上尾東武サロンで開かれた、某社の設立パーティーでも、同市長は、
「上尾には公共事業をやる資金はまだたくさんある」
などと相変わらずひどい財政オンチぶりを発揮し、会場の失笑をかったとのことだ。
靴を捨てた。4年も履いた靴だった。私はモノを捨てられないタチだ。
小学校の卒業式の時胸につけてもらった小さな花の飾りを
「まだ持っている」と当時の教師に話したら、彼女の目がまるくなってた。
私は4年前、日本で一番若い市議会議長に就任した。
その時、その靴を履いていた。
4年間本当によく歩いた。冠婚葬祭参列、式典参加、運動会、敬老会、
細かい行事、様々な会議、議会などなど、
朝早くから深夜まで、激務だった。呼ばれればどこにでも行った。
多くの人に会い、多くの仕事をさせていただいた。
そして市長選挙、12月、1月、2月朝6時から8時まで、
肌を突き刺すような寒さの中、上尾市内のどこかの駅で、私は妻と支援者とチラシを配り、
マイクを持っていた。
その時、その靴を履いていた。
駅前の出陣式、500名を集めた涙の打ち上げ式。
すべてがその靴といっしょだった。
実は選挙中、「その靴は汚いもうやめた方がいい」と何度か言われていた。
しかし、必ず当選すると確信していた私は「当選したら買い替えます」と返事を
していた。絶対に捨てることはできなかったのだ。
敗北・・・、残務整理もままならず、私は予備校の仕事に就いた。
自分といっしょだったその靴がいとおしくてならず、
毎朝磨き、出勤していた。
しかし、底が少しめくれ始め、いよいよ輝きもつやも無くなってきていた。
光れ光れと意地になって磨き、もっときちんと面倒見てやっていればよかったと
悔やみながら磨き、
毎日が過ぎていた。
何度も聞いてきた妻の「靴買おうよ」がすっと心に届いたのは、3月の末だった。
今、あの靴はどうなっているのだろうと思う。
重かったけれど自分のようだったあの靴。
□2000年03月09日
三寒四温と言われるが、少しずつ春が近づいている気配。
春の来訪とともに、新しい生活がスタートする方々も多いのだろうな。
そういう方々には心から「おめでとうございます」を申し上げたいと思う。
選挙の事務処理はまだ若干残っている。しかし、無職!となってしまった
現実を直視しなければならない。
昨年、私が忙しくなるギリギリまで「政経」や「英語」を教えた浪人生たちが、
このところ続々、大学合格の報告に来てくれている。
彼らに「みんなが受かって先生だけが落ちちゃったな」と恥ずかしそうに言うと、
「先生のリベンジ期待してます!」なんて気の利いたことを言ってくれる。
希望と夢を持ち、新しい世界に突進していく青年の姿は、見ていてすがすがしいものがある。
私も彼らに負けないようにと思う毎日だ。
□2000年02月27日
次年度の上尾市予算案に、政令指定都市推進経費が、計上されそうだ。
新井弘治市長は、選挙を強く意識しながら、
口では「4市1町での政令指定都市の推進」とこれまで何度も語ってきた。
しかし、これを推進させるための関連経費がゼロ計上だった。
また、政令指定都市推進のプロデュースをするセクションは市役所のどこをさがしても無いという有様だった。
「一体どうやって推進させるのか」「本音はやる気がないのにウソをつくなんて・・・」
などと市民の間からも、指摘の声があがっていた。
私も市長選挙を通じて、街頭演説で、チラシで、政令都市形成への余りのやる気の無さ、
都市合併への絶望的な無理解、を何度も厳しく指弾してきた。
「わが国13番目の政令指定都市の一翼を上尾も担うべき」という熱い声の渦巻く、
全国でも注目を集めている私たちのまちなのに、この構想を研究や推進させるための経費が、
今までゼロだったというのは、信じがたいを通り越して、唖然とさせられる。
さすがに、市長選挙で批判を受け続けたのが懲りたのか、カッコだけはつけないとと思ったのか、
しかし、200万とも300万ともつたえられているが、この額の少なさに、
良識ある市民はまた絶望感を深く感じてしまうはずだ。
□2000年02月19日
もうあの日から2週間が経ってしまった。
「あさのめ後援会」、「えがおくらぶ」(女性部)、「次世代市長の会」(青年部)、
それぞれの「慰労会」も終わった。
精神的にも肉体的にも、みんなクタクタだったと思う。
全スタッフ、支持者の方々本当によく戦っていただいた。
目的はただ1つ、市長選挙で完全勝利することだった。
そのことだけに向かって真っ直ぐ邁進してきたが、果たすことができなかった。
私の力不足で本当に申し訳なく思っている。
理念をもたないリーダー、利益斡旋業者に成り下がってしまったリーダー。
税金の無駄遣いに無頓着な役人たち、リーダーに食い下がれない出世目的だけの役人たち。
子孫に莫大な借金押しつけ、市民全体に幸福感を必ず享受できなくさせるこの上尾の
どうしようもない暴走を、一体どうやれば阻止できるのか。
20世紀と21世紀のつなぎ目の時期に、どうしてもやらなければいけないことだと
考え勇気をもち敢然と行動してきたことは、今でもまちがっていたとは、私は思っていない。
情報公開を武器に今後も一人一人が上尾市政に目を光らせなければならない。
そんなことも思ったりしている。
その時、初めて本格的な地域主権、住民自治が確立されるのかもしれない。
「次世代市長の会」(青年部)の慰労会の二次会は、カラオケボックスでおこなわれた。
19才から38才までの少年少女や青年たちが、思い思いの歌を熱唱する合間合間、
「変えなくっちゃ!上尾」の歌をギターを弾きながら歌い続けてくれた。
厳しい選挙中の様々なことが胸を去来し私は思わず胸が熱くなってしまった。
一から出直し、21世紀の政治責任を必ず果たしていく!