【米沢駅の絵葉書を見つけて】

誰にも「出発の駅」があるのかも知れない。
進学、就職、結婚、抽象的には自由を手の中に収めようと、高度経済成長期、人々は都市に向かうため「出発の駅」から、出ていった。
そして、都市は流入人口で溢れていった。

浅野目一族の「出発の駅」奥羽本線米沢駅だ。
浦和コルソで、「鉄道風景画家 松本忠 作品展」が開かれており、立ち寄った際、一枚だけあった米沢駅の絵葉書を見つけた。ぼろ泣きしそうになった。

山形から上京していた歌人斉藤茂吉は、母の死を目前にし・・
『みちのくの 母の命を一目みん 一目みんとぞ ただに急げる』

・・と歌い東京から山形に急ぎ帰っていった。

38.0‰の勾配、旧国鉄最大の難所板谷峠を戻ったに違いない。崖の中を突き進むこの峠が、山形内陸地方と外界を結ぶ唯一の鉄路だ。
厳しい傾斜で細く長く続く板谷峠の次の駅は、米沢駅だ。

一体何人の人が、どんな気持ちで都市へ出ていったのだろうか。岩からしみ出る清水のように。米沢人は板谷峠から細く広がっていった。

雪深く貧しい地から、様々な理由で故郷を後にしながら。みんな壮絶な意思を持ち、都市へ出ていったのだ。 たった一人で。

米沢の人たちは、豪雪から樹木を守る雪囲いを、もう作っている頃だろう。

絵を描かれた、松本忠先生に感激のなかお会い出来た。大変嬉しく奇跡のような一日に感謝した。#松本忠

 

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