<総括質疑> 平成2437日(水)

 1 県立小児医療センターの移転について

 2 県立高校の統廃合などで、結果的に歌われなくなった県立高校校歌のデータ保存について

浅野目義英委員 こんにちは。

 民主党・無所属の会の浅野目でございます。連日お疲れさまでございます。県庁幹部の皆さん、魂のこもった答弁をよろしくお願いいたします。

 最初に、埼玉県立小児医療センターについてお伺いをさせていただきます。

 このセンターは、1983年(昭和58年)4月1日に開所、間もなく29年を迎えます。掲げている理念は、「こどもたちの未来は私たちの未来」でございます。このセンターの未熟児新生児科は、県周産期医療ネットワークの基幹病院の一つ、高度新生児医療を誇ってきました。周辺の病院や地域産科、小児科などから1年365日、24時間体制で新生児救急搬送を行い、実に多くの赤ちゃんの命を救ってきました。特に超低出生体重児や仮死出生児など、高度新生児集中医療が何より必要な赤ちゃんに初期治療を行いながら新生児集中治療室(NICU)へ入院させてきました。さらに予後、あらゆる疾患に対し関連の診療科と連携し診断治療に当たり、特に未熟児性に起因する疾患、呼吸循環障害など重篤な疾患に対し、何が何でも後遺症を残さないための治療、そして退院後の健全な発育、発達のために母子関係や地域の医療、保健、そして教育機関との連携にも力を注いできました。

 実は、私の長男は25年前にこの病院に救急搬送され、半年間NICUでお世話になりました。脳内出血が認められた折には脊髄穿刺をし、脳圧を下げないように脳内にたまった血液を抜きましたし、未熟児網膜症にはレーザー光凝固、冷凍窒素を吹き付け、何とか視力を保てるように努力をしていただきました。私の知人の産婦人科医は、780グラムで生まれた私の長男を指して、「自分の子供なら浅野目さん、私は助けない」と言い切りました。しかし、そのことを小児医療センターの担当医に話しましたところ、「その医師の考え方は間違っています」と明瞭に答えられました。たとえようのない情熱と献身的な姿勢で、消え入りそうだった命がどうにか手に入れることができた私の子供を含めた、実に多くの救われた命があると確信されます。

 知事に、この救われた命の数を含めて、どれだけ多くの赤ちゃんの命を救ってきたと言えるか、どれだけ多くの子供の成育を果たしてきたと言えるか、県立小児医療センターの歴史的意義を知事から語っていただきたいと思います。

◎知事 今、浅野目委員から、ある意味では歴史的意義を語っていただいたような気がいたします。また、浅野目委員の長男も私のひざの上で、あるいは私が馬になって遊んであげたこともありますし、そして小児医療センターが、本来困難な状況でもこうして立派な青年に成長させることができたということの役割を果たしたということに、改めて感慨深く受け止めたところでもございます。

 いわゆる全国の総合周産期センターの出生体重1,500グラム未満の死亡率、このデータしか私は今手元に持っておりません。それ以外のことについては、病院事業管理者からお答えさせていただきたいと思いますが、同じようなこういう内容を持ったセンターにおける全国の平均は11%、そして埼玉小児医療センターは3.9%にとどめている。そして、同様な機能を持つような病院ですらも5.1%だという大変高いレベルで、現場の先生や医療スタッフの皆さんたちの献身的な努力でですね、こういう日本でも有数の成果を上げているということに、私はやはり県立4病院の中の一つの県立小児医療センターの重大な役割があるというふうに思っております。

 また、そうした重大な役割を担えば担うほど、できるだけ多くの県民の方々にそういう医療を提供したいと思いますし、そしてより高度化する医療機器、医療技術、そしてそういうものを備えた医療スタッフ並びに医師を拡充することに日ごろから努めていかなきゃならない、こんなふうに思っております。

◎病院事業管理者 まず、これまでの歴史を見ますと、従来小児疾患の中心であった感染症は減少しております。昭和40年代から未熟児、病的新生児、白血病、アレルギーなどの割合が増加してまいっております。このため、本県でも小児の高度専門医療の必要性が高まり、昭和58年に県立小児医療センターを開設するに至りました。救った命の数は具体的には把握できませんが、開設以来、29年間で県立小児医療センターの未熟児新生児科の実入院患者数は、1万1,279人となっております。結果として多くの子供さんの命を救うことができたと確信しております。

 しかしながら、医療技術は飛躍的に進歩しております。重篤な未熟児や、やけど、事故などの外傷性疾患に対応できる高度機能が求められるようになっております。いわゆるPICUでございます。このような医療の高度化に、現在の小児医療センターの建物や施設では対応ができません。そこで、さいたま新都心に移転整備し、更なる医療の高度化を進めていくことといたしました。

浅野目義英委員 ありがとうございました。

 命が何より大切だということを守り抜いてきたこの約30年間、心から敬意を表したいというふうに私は思います。そして、名和管理者のほうからちょっと一歩先んじた答弁が出ましたけれども、実はそういったたくさんの命を救ってきた経緯がありながら、一方でNICUが満床などで入院の受付ができない、こういう事象も残念ながらあったと推定できます。いろんな方からお話を聞いていると、しかしそれでも新生児の受入れを必死になって、何やら聞くところによりますと部長さん自らが受入先の病院を探し、適切な対応をし、コントロールタワーになって必死に対応してきたということも聞いております。これもすばらしい敬意に値するお話だと思いますけれども、それでも残念ながら新生児の入院受入先を未熟児新生児科でお断りせざるを得なかった事例、この件数は明らかになりますか。

◎病院事業管理者 委員御指摘のように、新生児集中治療室、いわゆるNICUが満床などの理由で、やむを得ず未熟児新生児科で受け入れることができなかった件数でございますけれども、平成21年度が244件、平成22年度が150件、平成23年度は24年2月末までで184件でございました。

浅野目義英委員 断らざるを得なかった事例数というのが、私もいろんな資料を見ても出てこなかったですけれども、今初めて明らかになったと思います。手際よくほかの受入先の病院を部長さんが必死になって、コントロールタワーになって探されたとしても、命を失ってしまう可能性を秘めたお断りをしてしまった件数というのが厳然と存在するわけです。管理者、一体NICUは何床不足していると言えるんでしょうか。問題を解決していくのが政治や行政の仕事だと思います。今度の新病院ではGCUも増床するようですけれども、小児医療センターの新病院計画では、この問題は抜本的に解決していくんでしょうか。答えてください。

◎病院事業管理者 現在の小児医療センターのNICUは15床でございます。平成22年度は441人の新生児を受け入れております。これは年間でございます。したがいまして、委員御質問の何床足りないのかというお答えですけれども、単純に計算しますと大体7床ぐらいでございます。ただ、単に断っているという数と、これからますます増えるであろうという数を入れますと、もうちょっと余裕を持ったほうがいいだろうということでございます。さらに、新都心では15床増やす計画でございます。新生児の受入れについても、約倍増えるという勘定になります。この増床によって、これまで満床などにより受入れができなかった約200人の患者さんを入院させることができるかと思いますし、さらに総合周産期のほうでやはり未熟児は発生しますので、その対応も十分できると考えております。

浅野目義英委員 十分対応できるという管理者からのお答えを受けました。

 さて、ちょっと切り口を変えます。

 極めて小さく生まれた赤ちゃん、私も毎日我が子を病院に見に行きましたけれども、一定程度のグラム数になると、もう随分前の記憶ですけれども、パーテーションを隔てた別の部屋に移されるようになります。それがとてもうれしかったことを私は覚えています。しかし、着実に治療が加えられて成長を果たし、予後の心配もいろんな検査を繰り返されているけれども、ずっと病室が変わらない子がいることを衝撃的に私は知りました。いわゆる慢性疾患、重症心身障害児、石渡委員が昨日御指摘された件でございます。

 寝たきり、人工呼吸器をつけている、つけなければいけない、気管を切開して管を挿管している子。毎日病院に行きますから、いろんなケースのお子さんの親御さんたちととても仲良くなり、心の中の話もする関係も構築できるようになってきたことを思い返しておりますが、しかし、絶望の中の希望、希望の中の絶望、こういった重症心身障害児の親御さんのことを決して忘れてはいけないと、このように思います。そして、知事の英断でこの方々の予後のために一部機能を残すという政治判断がされたわけですが、非常にこのところよく語られているこの重症心身障害児の方々の実像が分かりません。数は一体どれぐらいいるんでしょうか。答えてください。

神谷裕之委員長 上田清司知事。

◎知事 私の手元にある資料を見ますと、数は、入院又は通院中の重症心身障害者の患者さんは179人でございます。

◎病院事業管理者 小児医療センターでの外科系患者さんの多くは、手術をしなければ命にかかわる新生児や小児でございます。疾患としましては、主に心臓とか脳神経や消化器系などです。これらの手術後の患者さんの中には完全に治癒に至らず、一生外来で経過を見る必要があるケースがあります。また、小児医療センターには、搬送される以前に低酸素脳症で生まれた新生児で、脳性まひにより重症心身障害児になるケースが数多くあります。このような障害を持つ新生児を減らすためには、母子周産期、いわゆる総合周産期センターですけれども、こういった医療が最も有効でございます。

 お尋ねの小児医療センターに入院又は通院中の重症心身障害者の患者さんは、約179人でございます。この数は保健診療所の統計から出したもので、人工呼吸器の装着とか気管切開とか、あるいは酸素吸入、寝たきりなどの状態を指したものでございます。ただ、患者さんでは、全てこれをまた全部持っておられる方も数多くおります。それで正確な数はまだ把握はしておりません。したがいまして、これからいろいろ個別に検討して数を出していきたいと思っております。

浅野目義英委員 約1か月近く前に、私どもの会派で勉強会を開いた折に、関係者に来ていただいて、この重度心身障害児の数を明らかにしてくださいとお話ししましたところ、明らかになっていないということでしたけれども、今初めて明らかになったと思います。

 時間がちょっとだんだん迫ってきましたので、あと二つをちょっと一つでお聞きしたいと思いますけれども、基本的には全部持っていかないで重度心身障害児の方々に視線を投げ掛けて、一部機能を残すということでございました。私は大変高い評価をしたいと思います。この一部を残すというところのメインとなる建物は一体どこの建物か、そこは耐震上の問題はないのかということ。それからもう一つは、179人という数は素朴に私は多いなと思います。入所施設として岩槻小児医療センターが一部機能として再生するという可能性はありますか。このことをこの大きな質問の最後にしたいと思います。

◎知事 まず、現在の小児医療センターの全ての建物の耐震状況を確認しましたところ、保健発達棟、この部分が耐震性を満たしているということが判明しました。したがって、この建物を活用して今後の計画を検討したいという考え方を持っております。他の部門については、病院事業管理者からお答えさせていただきたいと思います。

◎病院事業管理者 現在の小児医療センターのうち、保健発達棟などは耐震性を満たしております。このような建物を活用して今後の計画を検討していきたいと思っております。最も耐震が悪いところというのは、いわゆる入院部門と講堂が耐震しなければならないという状態でございます。ただ、ここはちょっと切り離すわけにはいきませんので、単独で使うとすれば保健発達棟が一番の有力候補かと思います。

 それから、お尋ねの重症心身障害者の施設の件ですけれども、県内には今5か所ございます。総数では582名の入所が可能になっております。こういったことで、これから重症心身障害者が増えるという状況の中で、やはりこういった施設はもっと必要であろうというふうには考えております。

浅野目義英委員 ありがとうございました。

 それでは、2点目に行きたいと思います。私が質疑をさせていただく予定の2点目に入りたいと思います。

 県内の中学校の卒業者数は、平成11年、7万6,982人でした。これが平成25年には6万5,000人になると想定されています。この数は平成元年ピーク時の約55%という数です。正に中3生超減少社会まっしぐらという現実がございます。時代に応える形で高校を2校とか3校とかをドッキングさせて、県教育局高校改革推進課では高校を統廃合してきたという歴史がございます。再編整備計画の流れの中で、秩父東高等学校、行田女子高等学校、吉見高等学校、所沢東高等学校、菖蒲高等学校、北川辺高等学校など、様々な高校が姿を消しました。そして、平成11年の構想策定以来、平成25年度までに20校の高校が消失することになります。こういった県立高校の統廃合などに伴い、当然歌われなくなった校歌があります。これらはかつてはいわば県の財産であり、現在でも紛れもない県の財産であります。岡野貞一、林光、いずみたく、服部幸一、藤浦洸、我が国を代表する高名な作詞家や作曲家により作られたもので、貴重な財産とは言えないでしょうか。県の認識をお答えください。

◎知事 お話しのとおりだと思います。再編整備で閉校になった学校の歴史的な遺産というものは、新たに開学した高校の中に基本的には全部受け継がれている、あるいは何らかの形でストックされているというのが実情だというふうに理解をしています。

 そこで、校歌に関しても100%楽譜は残されておる。そしてCDなどにきちっと吹き込まれ、場合によっては貸出しなども行われているところもありますが、しかし楽譜だけでいいかとなると、少し疑問だなというような感じを私は今のところ持っておりますので、早急にもっと違ういろんな保存方法を考えておかないと、何かのときに大変なことになるなと。せっかくの思いというものが形に残らなくなってしまう、そんな感じを今持っておりますので、できれば県立図書館も含めた図書館なんかでもきちっと念のために保存して、分散していく必要もあるかと思います。

 そして、新しい開学した学校の中でもですね、もし同窓会とかそういったときには簡単に貸出しができるような、いろんなパターンでやれるような仕組みとかをやっておいたほうがいいなということを、この質問の趣旨の中で、そして今のお話の中で私自身感じたところでございますので、教育委員会の中でしっかり受け止めていく話ではないかというふうに思います。

浅野目義英委員 ありがとうございます。

 やっぱり感覚とか感性の問題なんですかね。図書館の方を呼んでお話ししたけれども、周波数が合わなくて図書館の仕事ではありませんとばっさり私はやられましたよ。約20校の高等学校の作詞者と作曲者の全ての延べ40人の方々の経歴と偉業を私調べました。それから、それぞれの高等学校の校歌が日本著作権協会で著作権を信託しているのかも調べました。それから、作曲者の方々延べ20人、作詞者の方20人が同様に著作権を信託しているかも調べました。奇特な人がいるもので、信託していない人もいらっしゃるんですね。

 ちょっとそのお話をしたいと思いますけれども、例えば行田女子高等学校の作曲者、岡野貞一さんは、教育長なんか御存じですよね。岡野貞一さんは「ふるさと」、皆さんはもう御賢明だから、「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りし」、この歌を作曲した人ですよ。行田女子高等学校、もう誰も歌っていませんよ、学校がないから。もったいないと思いますよね。「もみじ」、「春がきた」、「春の小川」、「おぼろ月夜」、こういう歌も作曲されている方です。

 それから、上尾東高等学校、もうなくなっちゃいました。私が前に住んでいたところの近くにあった高校ですけれども、この高等学校の校歌を作曲した林光先生は、我が国音楽界最高峰の尾高賞を2回もとっているんです。この林光さんは、実は今年の1月に亡くなられていますけれども、教育委員会の先生方に林光さん知っていますかと聞くと、知らない人は全く知らないけれども、さすが埼玉県の教育委員会だなと思いましたけれども、知ってますと。ビッグネームですよねとおっしゃっていました。

 それから、毛呂山高等学校の作曲をした、これは有名ないずみたくが作曲しているんですよね。坂本九の「見上げてごらん夜の星を」「幸せなら手をたたこう」、こんな歌を作った人の校歌が今は誰も歌っていません。それから、藤浦洸、美空ひばりの「東京キッド」を作詞した人だそうです。秩父農高の校歌の作詞者です。

 知事が本当に何の前ぶれもなく、何の打合せもなく反応していただいたのでとてもうれしいのですけれども、確かにあの震災のときに写真の流失などでデータ化しておけばよかったというムーブメントが今あります。もう二度とよみがえらない、二度と蘇生できないこの思い出、記憶をデータ化しておこうよということですよね。これだけ著名な方々により作られた校歌が誰からも歌われず、誰からも見向きもされず、ひっそりと闇に葬られてしまうのは無念な感じがします。これからも高校の統廃合は進んでいきます。ある意味一気に進んでいきます。在校生に歌われ、地域の方々に愛され、卒業生の心に残り続けているこの校歌を県は、知事、データとして一括保存すべきだと考えますが、いかがでしょうか。

◎知事 私も、詳しいことは全部分かっているわけではありませんが、この著作権とか、あるいは協会などの様々な規定の中で、借りるとか有償で借りるとか、そういうたぐいのものが多々あるというふうに何となく私も知っておりますので、そういう部分をクリアしながらそれぞれの統合された高校の中に基本的にはやっぱりきちっと置いておく。それから、やはりリスク分散ではありませんけれども、何らかの形で県立図書館がいいのか、あるいはこの県庁前の文書館がいいのか、いろんな判断はあるかと思いますが、何らかの形でデータベースできちっと残して、いつでもアクセスができるようなことはやらなくちゃいけないと。

 当然、同窓会とかそんなときに、やっぱり演奏があるとないでは、手拍子だけでやっていくというよりも盛り上がりに欠けますので、私はやっぱりそういうのをきちっと。しかも高名な作詞家、作曲家の手によるものだということも改めてきちっと埼玉県としてそれを誇りにすべく、何らかの形のアピールもしなきゃいけないというふうに思いますので、また教育委員会で基本的には検討することになるかと思いますが、議会での強い要請もあり、私も重く受け止めたということで、このことを教育委員会できちっとやっていただきたいと思います。

浅野目義英委員 大変ありがとうございました。質疑を終わらせていただきます。