七十七番(浅野目義英議員) 哀悼の辞。

 民進党・無所属の会の浅野目義英でございます。

 ただ今、宮崎議長から御報告のありましたとおり、埼玉県議会議員、樋口邦利先生におかれましては、去る九月十六日、六十八歳の生涯を閉じられ、天界に去られました。ここに、各位のお許しをいただき、埼玉県議会を代表して、樋口邦利先生の御逝去を悼み、謹んで哀悼の言葉を捧げたいと存じます。

 樋口先生には、県議会議員に御当選以来、御壮健で、県政の進展と地域社会の発展のために労を惜しむことなく日夜御尽力されていただけに、突然の訃報に接し、私たち議員一同、我が耳を疑い、言葉に尽くせぬ深い悲しみの思いに包まれました。

 今この壇上に立ち、先生が御活躍をされていた本会議場を見渡しますと、高貴なお顔立ち、慈愛に満ちた表情の先生のお姿が見受けられないことに寂しさを感じております。そして、様々な思い出がよみがえってもまいります。本日お出ましの御遺族の皆様方の悲しみに思いをいたしますとき、その御心中いかばかりかと、お慰めの言葉に窮する思いをいたすものでもございます。

 埼玉県議会にとり、高潔なお人柄と豊富な御経験を有する、かけがえのない優れた人材を失いましたことは誠に大きな損失であり、痛恨の極みでございます。

 樋口先生には、昭和二十二年、久喜市に生を受けられました。幼少の頃から、その将来を大いに嘱望されていらっしゃいました。円満な人柄と才知あふれる言動から、昭和五十年五月、地域住民の厚い信頼を得て、二十七歳の若さで久喜市議会議員に初当選されました。その後、六期二十二年五か月もの長きにわたり久喜市政に参画され、この間、久喜市議会議長や久喜地区消防組合議会議長を歴任され、市政の発展に大きな功績を残されました。

 さらに、平成九年九月には、多数の住民の期待を担って埼玉県議会議員に初当選をされました。以来、平成二十八年九月まで六期十九年近くにわたり、県政の発展及び地方自治の進展に、ひたむきな努力を傾注してこられました。この間、土木住宅都市委員長、文教委員長、交通網整備・地域整備対策特別委員長など数多くの要職を歴任されました。その崇高な政治理念と比類なき行動力により、本県の基盤整備に関わる諸問題をはじめ、県政全般にわたる課題の解決に積極的に取り組んでこられましたことは、各位御高承のとおりでございます。

 平成十八年、埼玉県議会副議長に、平成二十六年、埼玉県議会議長に就任をされました。公平無私にして円滑な議会運営に尽力され、活力と魅力あふれる郷土埼玉をつくり上げるため、全力を挙げて県民の福祉の向上に取り組まれたところでございます。

 さらに、平成二十五年には、本県議会最大会派である埼玉県議会自由民主党議員団団長の職に就任され、団内の取りまとめはもとより、他会派や執行部との調整など八面六臂の御活躍をされていたことは、記憶に新しいところでございます。豊富な議会経験と強い責任感、温厚で情義に厚い人柄から、自由民主党議員団はもとより、他会派の議員からも慕われ敬愛されていたことは申すまでもございません。

 現在、埼玉県では、正面から取り組まなければならない課題、財政、医療、福祉、介護、教育、環境など、課題が山積しております。今こそ私たちは一丸となって、それらの課題の解決に取り組まなければなりません。残された私たちは、樋口先生が終生を通じて地方自治の発展に寄せられた情熱と御遺志を体し、この難局を乗り切り、県政の発展のため一層の精進を続けていくことをここでお誓い申し上げます。

 樋口先生、願わくば、とこしえに在天の光となって、私どもの進むべき道をお導きいただきたくお願いを申し上げます。ここに、樋口先生の御遺徳をしのび、御冥福を心からお祈り申し上げます。また、改めて感謝の気持ちも付して申し上げたく思います。

 哀悼の言葉といたします。