どんな人にもチャンスがある。 新井淑則先生ご逝去される
2008年から、埼玉県長瀞町立長瀞中学校で、全盲の中学校教師が普通校の現場に戻り、堂々たる授業を果たしていました。
テレビなどで大変有名になり、本も出版され、映画にもなった、新井淑則先生です。
彼が亡くなられたと、今日関係者から電話が入りました。
私にとり忘れられない先生でした。
私は、2007年8月に先生と面談し、必ずどうにかしなければならないと、強く思うに至り、埼玉県議会9月定例会に登壇して、力の限り県教育委員会に訴えたのでした。
質問から5か月後の2008年4月から、先生を現場に戻すことが出来、私は感無量でした。新井淑則先生は子供たちに感動に満ちた授業をしていました。
先生のご冥福を心から祈り上げます。
▼浅野目義英 質問(2008-10-03)
視力障害者の教員登用について質問いたします。
人にとり、光を失うということは筆舌に尽くしがたい苦難のはずでございます。私は、青年会議所時代、アイマスクをつけて駅の階段を昇ったり降りたり歩行訓練をしたことがございます。その時こんなに苦労されているのかと、目が不自由な人の立場を初めて実感しました。
しかし、そういった逆境をはね返し不屈に挑戦を繰り返し、全盲のピアニスト、全盲のテノール歌手、全盲の弁護士、全盲のマラソンランナーなどの方々が様々な現場で活躍されていることは、議員各位、執行部各位も御存じのはずです。私が今日この県会議本会議場でお話ししたいのは、視覚障害の教師についてです。全国で六十名も教壇に立つ視覚障害の先生がいらっしゃるそうです。教育長に四点の答弁を求めたく思います。
①教員採用選考試験で特別選考を行っているとのことですが、配慮の現状について伺いたい。
②また、視覚障害者の採用状況を知りたく思います。
③さらに、実地の教育現場ではどのように教えていらっしゃるのか。
④とかく盲学校の勤務になりがちだとは思いますが、普通学校での門戸をもっと広げられないのか、お願いをいたします。この視覚障害者の教員登用の質問の最後に知事にお尋ねをいたします。
知事は、昨日の矢部議員の質問に答える形で、誰でもチャンスがある社会がいい社会と述べていらっしゃいます。
福岡県出身だから上田知事はだめとか、女性だから副知事はだめとか私は聞いたことがありません。すべての人にチャンスがあるということです。運命のいたずらで光を失った、現在盲学校で勤務しながら普通学校の勤務を望んでいる先生がいらっしゃいます。是非再び教壇に立ちたいとの希望を持っていらっしゃるこの望みを、夢をかなえていただけないか。通勤に片道二時間半、往復五時間かかる、そういうことは知らない。幾ら望んでも普通校では環境が整わないからだめだ、目が見えないから盲学校で働け、これでは私は納得できません。
是非知事に答弁をお願いいたします。
▼上田清司知事 答弁
視聴覚障害者の教員登用でございます。
そのうちの普通学校での門戸を広げられないかということであります。今年度から本県で塙保己一賞を創設し、障害がありながらも、色々な分野で活躍する方々を支援しようというそういうことを考えているところです。
多分それぞれの市町村の教育委員会だとか、そういったところにお願いをすると、ややこしいことを受けないというそういう文化もゼロではないので、非常に弱い部分があるかなと思いましたので、このお話があり、早速もう秩父の創造センターの所長にどうだと、急いで調べてくれと言ったら、見込みがあるようなのが出てまいりました。
また、できれば秩父線一本で羽生まで続いているわけですから、その沿線で、市町村だとかそういったところで受けられるという話は可能かなと。少なくとも寄居で降りてとか、坂戸で乗り換えてとか、そういう世界よりは一本で電車に乗れるというメリットもあるのかなと思ったりしておりますので、これはできるだけ県並びに市町村の教育委員会、面倒くさがらずにより多くの人たちにチャンスが与えられるようなことを真剣に取り組んで頂きたい、このように思います。
▼解説
質問をして5か月後の2008年4月、念願かない、埼玉県長瀞町立長瀞中学校に転任。
2014年には、全国で初めて普通学校における全盲のクラス担任となられた。
実に見事な授業をされているところを参観し、私は感動した。
差別を拒む子供たちが育つであろうとも期待した。
新井淑則先生の追悼文集
新井淑則先生(2023年7月5日にご逝去)の追悼文集『新井淑則さんの逝去を悼む』(発行者: ノーマライゼーション教育ネットワーク)において、私、あさのめ(日本維新の会 衆議院埼玉県第1選挙区支部長 浅野目義英)の埼玉県議会議員時代の取り組みについてご紹介いただいております。