【裁判官だった伯父の遺品、我妻栄記念館へ】

事情があって生まれてすぐ山形県米沢市の祖父母と伯父伯母が住む家に預けられた。
豪雪地であり、緑深い歴史の町だ。「義英君は米沢に来て一歳になった」と伯母に言われたことがある。
その一歳の頃に伯父伯母の間に女の子が生まれた。
従姉妹だ。しかし“兄妹”のように育てられた。
一緒にご飯を食べ、本を読み、寺を走り回った。笑いながら壁に大きな絵を描いた。
一度だけ泣かせてしまったことがある。こんなことで泣いてしまうんだ。がその時の感情だった。女の子は弱いんだ。と思った。

伯父は働いている裁判所に本当によく私を連れていった。米沢出身の民法の父、我妻栄先生のことも膝の上でよく話してくれた。
伯父は、私が司法の仕事に就くことを切望していた。父親代わりだった伯父は、私が県議初当選の直後に天に還った。法曹ではなく議会で仕事をしている私をどう思ってくれているだろうか。毎日そんなことを思う。

ところで、私の“妹”はとうしているんだろう。コロナで会えない
ネットで検索してみた。小学校教員を退職後再任用で、聴覚困難な子供の支援のために働いていることを知った。頑張っているんだなと思った。
また別な所に「我妻栄記念館にご寄贈」ともあった。
ああ、伯父の書斎のあの本棚にあった『担保物権法』などの本だ。崇敬していた我妻栄先生のものだ。
伯父は喜んでいるに決まっている。そう思った。
膝の上の温かさが蘇ってきた。

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