上尾で通り・坂道に標識柱 無形の文化〝埋もれた名前〟追加も
人が歩いて道ができる。人多くなって大通りに広がる。時代とともに環境が変わり、道にも変化が起きる。親しまれた愛称は消えていく。上尾市は、今年、市制三十周年を迎え、記念事業として通り・坂道の昔から言われていた愛称を復活、標識柱に刻んで立てた。
名称がよみがえった道路は十六路線、坂道が十一ヵ所。立てられた標識柱は、高さ百三十㌢、直径十五㌢のコンクリート製の擬木。
復活のきっかけは、五十九年九月の市議会での一般質問。
「昔からの名称が意外に少ないですね。でも、それから二回も質問し、やっと実現したわけですが、提案が具体化したことには満足しています。」と浅野目義英市議(新政ク)。
数年前から歴史的地名を守ろうとの運動が全国的に広がり、超党派の国会議員で組織する地名保存議員連盟が「住居表示に関する法律」の一部改正を議員提案で行ったのが六十年六月だった。「地名は無形の文化であり、残すべきは残さねば・・・」という理由だった。
上尾市は、まず県内の実情を調べた。昨年十月現在、十三市で道路の愛称を標示している。ほとんど一般公募の新しい愛称。歴史的名称を採用しているのは幸手、和光の二市ぐらいだった。
市で委託している各地区の区長百人余に調査票を配って昔から親しまれている名称を提出してもらった。通りが三十路線、坂が十四ヵ所報告された。「はっきりしないものや、無くなった道路、これから区画整理などで消えそうな道ははぶきました」と山崎吉郎監理課長。
調査票をもとに、職員が地元に出かけて再確認した。山本広行課長補佐は「聞き取りでさらに数件追加しましたが、起終点の不明なものなどがあって苦労しました」と作業を振り返る。
さらに上尾市史学会の石島潔会長(八〇)に点検を依頼した。誰でも知っている中山道、鎌倉街道、原市新道など当然だか、なぜか川越街道(県道上尾-川越線)は出なかった。地域を違えて「秋葉通り」が二カ所、約二.五㌔離れて「駒の橋通り」「駒橋通り」もある。「ひばりげいどう」と地元民が方言するのは「雲雀街道」と正式に取り上げた。
坂は「てらん坂」の寺坂や、調査票で「寺家坂」とあったのを「亭家坂」と正しくつけられた。ここの元区長の渋谷新蔵さん(六五)は「頭に残っていた呼び名でしたが、正式な名称で残れば幸いです」「ドンドン坂」なども追加された。石島会長は「調査をすれば、まだ埋もれている愛称があるかもしれません。分かった段階で追加することも必要でしょうね」。議会で質問を受けたとき建設部長だった畑孝雄都市経済部長はこうしめくくった。
「市の地形が平たんで変化が少なく、昔からの愛称が意外に少なかったようだ。反響を待ち、新たに愛称を募集するなどの方法で、生活に便利性のある道路、坂の名称をつけることなど検討したい」