【齢を重ね、5月27日64歳になりました】

私が生まれた年の『厚生白書』によれば、4人に1人が栄養不足とあります。戦後しばらくの日本の子どもたちは、ユニセフ給食(昭和24年から39年迄)の脱脂粉乳などで飢えをしのいだのです。大変不味かったのですが…。余りにもひどい味で川に捨てた学校があるなども聞きました。しかし、それで大きくなったのでした。

上野駅などに、大戦により手足を失うなどした「傷痍軍人」の姿がありました。彼らはハーモニカやアコーディオンを悲しく弾いて物乞いをしていました。好奇心あり、目のやり場に困ることあり、でした。戦争体験者に話を聞くことも出来た世代です。

高度成長が近づきその中に突入していきました。
消ゴムや鉛筆や筆箱に興味が注がれ、
習い事にいく者が増え始めました。
算数セット、家庭科セット、みんな同じものを買い求め、使うことが当たり前でした。
社会にスピードがあり、そこに乗ることを否応なしに求められました。

少年時代のことが、どんどん頭の中に浮かんできました。

少なくないバースディメッセージを賜りました。本当にありがとうございました。
自らの使命を自覚しながら、また一年間歩んでゆく決意です。
書を読み、人の輪に入り、自分を律し、社会を見つめたいと思っています。
お世話になります。
また連なる一年、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
記念に孫娘と仕事場入口で写真を撮りました。

Follow me!