【虐待の子だった僕…ブローハンさんの話を聞く】
県議会でイケメンの彼の話を聞いたことがあった。胸の詰まる強烈な思いで私は唇を噛み締めた。
所属している浦和ダイアモンドロータリークラブで、2度目の卓話を拝聴した。
見ないふりをしてはいけない、何とかしなければならない、現代社会の課題の1つだ。
再会した私のことを憶えいてくれだだけでなく、私が県議会で、児童養護施設出身者が県立大学に進学出来る道筋つくれと質問し実現したことを、本当に喜んでくれていた。
そう語るブローハンさんは、施設や里親の元から社会に巣立った若者の自立を支援する一般社団法人「コンパスナビ」(さいたま市)の広報マネジャーとして、現在活躍しています。
私が、県議会で「児童養護施設出身者が埼玉県立大学へ進学出来るよう道筋をつけよ」と質問し、実現させた内容も参考にして頂ければ、嬉しく存じます。
https://www.pref.saitama.lg.jp/e1601/gikai-gaiyou/h3102/b051.html
私の実父は元々家族があり、私はフィリピン人の母からその非嫡出子として生まれました。
無国籍で無戸籍、住民票もありませんでした。
幼い頃から義父の虐待を受けていましたが、クリスチャンの母は、毎日祈って(=pray)いました。私も神様が必ず助けてくれると思っていました。
しかし、義父の虐待は止みませんでした。駐車場に連れ出されて殴られ、水風呂に沈められました。
私は、痛みを感じないよう、意識を飛ばしました。幽体離脱のように、暴力をふるわれる自分を、別の自分が見下ろしていました。
ある日、尻など他人に気付かれにくい部分をライターであぶられました。小学5年の時、火傷でいすに座れなくなり、教師が気付いて児童相談所に連絡しました。一時保護所に預けられ、児童養護施設に入りました。
虐待を誰にも言えませんでした。
「義父の暴力の矛先を、母に向けさせないため」でした。