内馬場裕勝:中央大学 辞達学会=弁論部OB (敬称略)
1983年の物語、埼玉が動いた、そこに浅野目君がいた!
彼と初めて会ったのは学生時代だった。大学は違ったが、ともに雄弁会に所属していて、学園紛争を経て、途絶えていた大学同士の交流を復活させようと話し合った。
その彼と再会したのが1983年の参議院議員選挙のとき。埼玉選挙区で劣勢を伝えられていた候補者の選挙対策本部だった。活きのよさそうなスタッフを集めようと、私たちの世代に声が掛かり、彼も私もその中に加わった。そこでは年齢などお構いなし、ほんとうに自由に、なにもかも思いどおりに力を振るわせてもらった。
彼も私も毎日毎日、朝早くから夜遅くまで、ときに街頭に立ち、ときに選挙カーのマイクを握り、事務所では机を削るようにして檄文(選対文書)を書き、応援弁士を調整、演説会を手配し、取材に対応、鳴り響く電話を裁いた。お互い、アドレナリンは無限に湧いた。そして最初じりじりと、中盤からはぐいぐいと選挙が動き始め、候補者は見事、当選を果たした。
それにしてもあのとき、彼の才能と活躍には舌を巻いた。少なくとも同世代では群を抜いていた。新鮮な発想、緻密な計画、大胆な行動…。とにかく、選挙事務所は彼の、達筆なのだが非常に特徴的な、太く力強い文字であふれていたし、ものおじせず大勢の中で議論する姿にも強い印象があった。
その後の、彼自身が議員となってからの活躍ぶりは周知のとおりと思うけれど、その彼から久しぶりに電話があった。「ある人から君の電話番号を教えてもらった、元気か」と弾む声。その声、変わっていない。…うん、変わっていない。声を聞いただけでわかった。夢も理想もあのころから、まったくそのまま変わっていない、まっすぐ。そして、この先もまっすぐに違いない、と。
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政治ってなんだ?なにがいちばん大切?
拙文に付け加えたい。彼との再会の場となった上述の参議院選挙だけれど、実はその最終盤、私は車で事故を起こし、選対から離脱した。
それで投・開票日は意識不明の重体で病室にいた。目が覚めると、病室に彼からの手紙が届いていた。「当選した。君の力だ」と。
…そんなことない、真逆だ。
だいいち、最後の場面、私はいなかった。いちばんは彼の力だ。手紙に、反射的にそう思った。でも、そのように手紙にしたためてくれた、彼のハートに泣けた。
熱くなきゃ、政治なんてやっちゃいけない。
だって、大勢の人の期待、希望に応えなくちゃならないんだもの。
彼は熱かったし、いまも熱い。ずっと熱い。
皆さまに、彼の古くからの友人の一人として、このこと、しっかりお伝えしたい。
仙台市在住 内馬場裕勝(新自由クラブ時代の戦友、現・不動産会社経営)