井上 びん:一般社団法人 教育の未来プロジェクト代表(敬称略)

浅野目義英くん 応援メッセージ

 中学時代の3年間、私は浅野目義英という「山形から来たちょっと変わったヤツ」に、かなりの興味をもって接していました。「ちょっと変わったヤツ」という表現は、言い換えれば「オレと同じ匂いのするヤツ」という意味です。
その後「ちょっと変わった浅野目くん」は、25歳という最年少記録で上尾市議に当選し政治家の道を歩むことになります。そして同じ頃、紆余曲折を経て、私もまた「ちょっと変わった教員」になっていました。
私は社会科の教員として、主に高校生を相手として、社会のあり方を「歴史」「政治」「経済」の分野を通じて「できるだけわかりやすく理解させる」ことに授業の主眼を置いてきました。しかし特に平成になってからの高等学校教育では、いかに大学受験に有効な授業が行うことができるか…、それが教員としての評価に直結してきました。
つまり大半の生徒は、「学び」の目的を受験に有利か否か…、つまりより「コスパ」のいい科目に絞って合理的な学習を求めるようになってきたのです。そんな生徒にあって「社会の本質」に迫るようなダイナミックな授業は成立するはずもなく「…で、答えは何ですか?」という発言を恥ずかしげもなく乱発するような始末です。
これは私たち教員が決して追随してはならない「受験競争を勝ち抜くための授業」を各々が実践することで、逆に競争を煽ってしまったとする教育に対する立派な「裏切り行為」でした。「なんだかなぁ~」と密かに思いながらも、私とて「日本史で受験するなら井上」といった生徒からの評価に甘んじていたことは事実です。

浅野目くんが県議に当選した…、人づてにそう聞いた時、私は無性に彼に会いたくなりました。「ちょっと変わった浅野目市議」は、どんな県議になっているんだろう? それで少し彼のそれまでの政治活動を調べてみたのです。正直にいって驚きました。「オレと同じ匂いのする浅野目」は、その時と同じ「匂い」を放ち続けていたのです。決してマジョリティーに埋没することなく、常にマイノリティーの側で様々な政策を提案し、それを実現してきた浅野目議員の「ちょっと変わった」立ち位置は決してブレていない…、それに引き換え私は…、「オレの匂い」を失っていたのです。完全に世間に同化し身も心もクリーニングされ続けた私に、だから浅野目くんの活躍は「痛く」もあり「眩しく」もあったのです。

政治の世界は素人ですが、社会科、特に「政治経済」の授業で教える程度の知識ならあります。その「政経」の授業で必ず触れなければならないフレーズがあります。「地方自治は民主主義の学校」というもので、これは19世紀にイギリスの法学・政治学者のブライスが発した言葉です。
私は毎年の授業でこの言葉に出会う時、必ず浅野目くんを意識します。彼の政治的立脚点がまさにこの言葉そのものであるからです。
私の知る限りの浅野目県議の政治スタイルは…、たぶん次のような手順を踏んでいるはずです(あくまでも個人的な推測なので違っていたらゴメン、浅野目)。
ます、様々な社会的課題の中で、特に政治的な課題を見つけてそれを解消するための政策を立案する…、とここまでは当たり前の政治家としての取り組みです。しかし浅野目県議が注目するのは、常に「誰も取り組みたがらない課題」にいつも限定されています。おわかりでしょうか? 「誰も取り組みたがらない」ということは、それだけ面倒な課題であるにもかかわらず『票に繋がらない』課題のことなんです。

私は、その事実を彼の政治活動事例に見つけていました。浅野目県議は市議であった時代から定期的に「教育関連」に絞った取り組みをしてきています。実はこの「教育関連」という課題は「誰もが選挙公約にはするけれども決して実現させる気のない課題」であることは、私の知る複数の政治家がハッキリと公言しています。それはなぜか? 「いくら頑張っても教育の世界だけは、その効果が現れるのに最低でも5年、ヘタをしたら10年以上も時間がかかる」からです。そんなことをしていたら4年という任期の間に「政治活動の成果」として発表できない…、そういった理由から「教育案件」に手をつけることができない議員が大半であるということを私も十分に認識しています。
しかし、その「コスパ的には理にそぐわない課題」に果敢に挑んできた浅野目県議…、だから私の目には「ちょっと変わった浅野目県議」と写るわけなのです。さらに浅野目県議の特徴は、これも「たぶん」なんですが、「県議と役人と住民」との関係性を常に「フラットな状態」にすることで、課題を解決するためのもっとも厄介な障壁である「複雑に絡み合った利害関係」をすべての関係者と同じ目線で解決していくことを徹底していることではないでしょうか? 役人に対して決して強圧的ではない…、住民に対して決してへりくだってない…、そんな声を周囲から聞くにつけ、そんなところにも浅野目県議の他の政治家にはない特別な能力が発揮されていると思うのです。
さて、そんな浅野目くんを遠くから常に見続けていた私も、教員人生の後半になって、やっと「オレの匂い」を取り戻してきたように感じています。だから今の浅野目くんと私は「同じ匂いのするちょっと変わったヤツ同士」に戻ったわけです。
最後に私の本音を吐露します。

私は人を誉めることがヘタです。というか、高校生のような成長期にある若者は教育的な配慮と手段によって褒めることはありますが、大人を誉めることはほとんどありません。しかしその唯一の例外として私は声を大にして浅野目くんを誉めます。

「よくやってる!」と。

今年、日本史の近現代史を教えている高校2年生の男子生徒のひとり、それに昨年政治経済を教えていた女子生徒のひとりが、なんと将来「政治家」を目指しています。「どんな勉強をしてどんな大学に進学したらいいですか?」と相談されました。
私はこの2人の生徒にこう言いました。

「大学生になったら、まずは浅野目義英という埼玉県議を訪ねてみよ。そこでボランティアでもしてみよ。大切なことがわかるハズだよ…」と。