町田 育代:浦和区常盤で「瑶沙塾」(学習墊)主幹を55年務める (敬称略)

深い敬意と感謝をもって

 初めて浅野目県議さんにお会いしたのは10数年程前です。我家の筋向かいに、地域問題の相談役管野悦子弁護士がいらっしゃいます。
「賢くて立派な県議さんよ」という彼女のお誘いで「あさのめ県政報告会」に娘と出席しました。県議個人の県政報告とは?と、私の耳には画期的に聞こえました。一度も経験が無かったので。
 浅野目県議ご本人は「県政を預かる者として当然やるべき事です!」と仰いました。会場で私は小学校1年生の様に真直ぐ彼の目を見つめ報告を聞きました。この時の印象は『この埼玉県にこんなに優しく愛情を持って情熱的に、旦つ具体的に綿密に県政を考え行動する県会議員さんがいらっしゃるのだ』と感銘を受け、強く感動致しました。

 兎角(とにかく)国政にしても地方政治にしても、議会の議員と称する人の多くは妙に く威張りくさる> が印象的でした。おそらく専門の仕事能力が無いが、自我だけは強いので、議会議員にでもなろうかでなったのではないかと思われる程に、自己愛が強く軽薄な無責任な人が多いというのが私の議員観でした。そして実際にこれを証明するかのような経験をさせられた事がありました。

 それは我家の墓地のある所で土地問題が起き、収集が着かず、お膝元の某議員さんにお知恵を拝借したいと、お願いに上がった事がありました。しかし彼はお願いの真意を聞ぐこともせずに2、3の説明に「私はそんなことに関わることはしません」と、あっさり門前払いをされました。「成程、議員さんにとって住民とは、選挙の時だけに必要な存在で、当選したら無関係なのだ」と思い、以来私はその議員氏の動向を監視していました。自分を褒め他人には冷たい人間性が今日の民主主義に相容れられるものなのかと注目していたのです。果たして10数年程してその結果が歴然と表れ、彼は今飛び上がれぬ濡羽のとんびです。近代社会の理想である民主主義を無視した結果です。

 上記の議員氏に引き替え、浅野目県議さんは私達の地域に起こった問題。つまり古くなって解体された県の労働会館跡地がどうなるか?と心配した時にご相談に乗って下さいました。東南周辺に高いマンションが4棟もそびえ建っているので、更に高い建物が建つのかと、周辺住民の夏慮は深刻でした。浅野目県議はこの住民の心を組み取り、県議会ではこの跡地に起こり得る様々な問題点を提起されました。

 幹線道路国道17号線に面しているので万一の為にもと、安全性も留意され、皆の待ち望んだ県を美術館用としての広々と明るい駐車場が完成したのです。浅野日議員のお力と埼玉県議会の良識のお陰です。

 今この駐車場は、県内ばかりでなく他府県からの美術館来館者も多く利用し、お茶室茶慶館も利用者が増え多くの茶人達も利用しています。一般車も利用出来るので有効に活用されています。
 労働会館跡地の駐車場設営という県議会の英断に県民皆感謝しています。尚、日当りが保障されたので、道路を挟んでの北側には思いも掛けぬトランポリンジムが出来、オリンピックを目指してか、大勢の子供達が毎日利用しています。

 この一例ばかりでなく、浅野日県議は数知れない程、埼玉県民の為に働いて下さっています。先日浅野目県議個人で出版された小冊子の『感動県政』令和4年度。埼玉県予算・政策要望書を頂き、全部読ませて頂きました。彼の人柄も県政への取り組みも存じ上げている筈でしたが、亦々(またまた)驚き感銘を受けました。県民の生活実態をよく把握され、埼玉県の有する600もの問題点が提起されてありました。
 これは並々ならぬものです。特に弱者の見方としての優しい暖かい視線には頭が下がるばかりです。戦没者遺骨収集促進の提案は、反戦や々の叫び声より大きく戦争の悲惨さと、日本人の誇りとを改めて認識させられるものでした。

 県議会での質問も鋭く、県民の為になる正道なので、回答者からは多くのよい回答を引き出しています。大野県知事も共に県政を行なう者としての強い味方であると、お喜びの事と拝察致します。
 この冊子を出来るだけ多くの県民が目にする事を望みます。結果だけを知る県民でなく、県議会を理解し県民問題に目を注ぎ、民主主義の良き模範埼玉県の実現も早まると考えられるからです。

 浅野目義英氏は県議会議員として、埼玉県にゆるぎない明るい未来を築こうと、県の抱える問題の実情から目を放さず、不条理を追及し続けています。この責任感と良識と実行力に、深い敬意と感謝を捧げます。

 小学校教師を経る、町田 育代記す。