【あきらめず、心折れず、努力した人の話】
その2 夢へ向かう努力 イチロー
文:埼玉県議会議員 浅野目義英
連載第2回はプロ野球選手イチロー(本名:鈴木一朗)の登場です。

②夢へ向かう努力 イチロー
イチローの小学校卒業文集の作文をご存知でしょうか?
「ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。

活躍できるようになるには、練習が必要です。

ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3才の時から練習を始めています。3才~7才までは、半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、はげしい練習をやっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は5時間~6時間です。(略)そして中学・高校で活躍して高校を卒業してからプロに入団するつもりです」

彼は、何年も先を見つめていました。12歳で将来の自分を決めてしまっていました。しかも、その未来の夢へ向かうために、彼は頭の中に綿密な工程表をつくっていました。驚くべきことです。
作家の三浦綾子は語っています。「本当の実行力とは、一つのことをなすに当たって、綿密な計画と、周到な準備をもってなされるものでなければなりません」

夢果たして、彼はドラフト4位でオリックスに入団します。
しかし、指名順位が示すように注目を浴びた選手ではありませんでした。プロ選手としては
ごく普通レベルの評価とされていました。
1年目1992年に40試合に出場、2年目1993年には開幕スタメンを手に入れますが、定位置をつかむことは出来ずにわずか43試合の出場に終わりました。
しかし生まれ変わったように、1994年~2000年、日本プロ野球史上初となる7年連続首位打者を達成しました。

米国へ渡ってからは、メジャーリーグ記録となる、2001年から10年連続200安打を達成。1シーズン最多の262安打、また最多試合出場世界記録保持者でもあります。
そして、日米通算安打数を4367本(日本1278本、米国3089本)という前人未到の数々の記録を打ち立てた超人です。
日米球史に残る超一流選手にまで上り詰めたのは、イチローには、卒業文集に書いた夢があったからです。
彼が夢を実現できたのは、毎日愚直に継続し続けたことに他ならないと語られています。

しかし、こういった地道な継続をなぜ彼は果たせたのでしょうか?
「諦めるという瞬間はあるのか?」という記者の問いにイチローはこう答えています。

諦められないんです。
諦められない自分がずっとそこにいる事はしょうがないと諦める。
みんな休むじゃないですか、そういう事ができないんですね僕は。
そういう自分がいる事は仕方のない事なので諦めます」

また「なぜ続けられるのか?」という問いにはこう答えています。

「毎日同じことを繰り返し安定した状態に持っていくというテクニックはあると思います」
「よくない結果や、難しい試合の後、気持ちの整理が難しく、いつもやっていることを続けるのがしんどい時もある。しかし頑張りどころで続けてきました」

---不屈の継続、見事な努力の人です。そして、こうも答えています。

「僕は子供のころから、人に笑われてきたことを常に達成してきた」
「決して消えない昔の記憶がある。小学生時代、毎日野球を練習していると、近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるつもりか?』って笑われていた
悔しい思いをし傷つけられたが、実現したい夢があったから平気だった

「継続は力なり」という言葉があります。
何か足りない点や課題があったら、頭と体と情報を駆使して改善策を考え、それを徹底してし続けたのです。イチローはその大切さを、身を持って教えてくれています。
作文を書いたのは、まだ幼い12歳のイチロー自身でした。その時の決意を彼は揺るぎなくもち続けました。
原稿用紙の一行目にいきなり彼はこう書き込みました。

「ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです」

夢を心の中に燃やし、一直線に努力の道を歩き続け、本当にプロ野球選手になったのでした。
しかも、本当に一流のプロ野球選手になったのです。