運命の仕掛けは不思議に満ちている。~エジソン~
『種も仕掛けもない』という言葉があります。人生には、意図しない偶然が続くだけで、種も仕掛けもないのでしょうか。ではその偶然を生み出しているものには、種も仕掛けもないのでしょうか。
皆さんはどう思われるのでしょう。なぜそろばんとの出会いがあったのでしょうか。そろばんを手にしたのはいつだったのでしょう。それを導いてくれたのは誰だったのでしょう。
そろばんに関わることだけではありません。様々な運命の秘密の仕掛けに人生は満ちています。まったく謎めいたことですが、運命の仕掛けは静かに登場してきています。不思議なストーリーの中で人は生きているのです。
そんなことを「高柳和之先生と不思議な運命の仕掛けで巡り合った」浅野目が、5回連続でお話しさせていただきます。
先月に続く2回目は、発明王エジソンです。エジソンは、1847年2月11日に米国オハイオ州で製材所経営者の父と、元教師の母の子供として生まれました。
エジソンの伝記で有名なのは、小学校を退学させられたことでしょうか。「粘土1個と1個を合わせると1個の粘土になるのになぜ1+1=2なのか」と聞いたという事件などが積み重なり、エジソンは入学からわずか3ヶ月で放校処分を受けてしまいます。
こんな彼は15歳の時、マウント・クレメンス駅で新聞などを売る仕事をしていました。そして、ある衝撃的な事件がここで起きます。列車に轢かれそうになった駅長の子を間一髪で助けたのです。
駅長は感謝し、お礼として電信技術を学ぶ機会を得たエジソンは花形の電信技士となりました。まだ電話がない時代。遠くに情報を伝える手段として電信が有効だったのです。この時をきっかけに、彼の発明の才能はあっという間に開花し、死ぬまでに約1300もの発明と技術革新を生みました。
実は米国は当時、西部へ領土を拡大する時代で、北部は産業革命を迎えて工業化が進んでいたものの、南部は綿花生産を主産業としており、世界情勢の中では中進国でした。
中進国の米国が先進国として世界に飛び出してくる際に、エジソンの発明が関わらなかったものはないと言われています。
15歳の彼に運命のしかけが彼に降り注いだのです。彼はそれを手の中に入れたのです。