9月29日(日)、そろばん教室USAでの赤堀愛果さんの講演を拝聴させていただいて、私は感動で心地よい気持ちでいっぱいになりました。
感動を胸に秘めたまま翌日の月曜日、赤堀さんの話にあった、あの太宰治の「砂金」の話は、太宰の一体どの著書に書かれているのだろうと、ネットで検索していました。
私は、大変驚いたのです。ああ、私が50年も前にあれほど耽読した小説『正義と微笑』の中に書かれてあったということを、衝撃をもって思い知ったのでした。
「心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまっても、その勉強の訓練の底にはひとつかみの砂金が残っているのだ。これだ。これが貴いのだ。」
自分はそのことに気付かずに講演に耳を傾けていたのでした。
私は何をやっていたのだろうか、と恥ずかしくも思いました。しかしまた、私の少年時代を振り返らせてもらったことを感謝しました。
この本には思い出があるのです。『正義と微笑』のなかに書いてある、「微笑を持て、正義を為せ」に印象を強く持ち、私たち一人ひとりに、校長が書いてくれる卒業記念の書に、この言葉を書いて頂いていたのでした。
兎も角、赤堀さんが、「なぜ勉強をするのか」という問いかけの回答として、この著書の中にある「その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ」と述べられたのは爽快でした。
そして、太宰の話を紐解きながら、勉強をすることは、「豊かな人間性を磨くことが出来、多様な視点を持つことが出来、偏見から人を見下すこともなくなるのです」と結論付けられたことに、無上の感動を覚えました。