雪が舞うのではないかと思うほど浦和は冷え込んだ。
そんな中、「そろばんクリスマスカップ2012」に、日本中のみならず世界から今年も千名近くの挑戦者が参集した。
毎年、私が何より楽しみにしている大会だ。会場はさいたま市文化センター。仲良くさせていただいている小柳嘉文(こやなぎよしふみ)市議会議員と一緒に伺わせていただいた。巨大な会場は例年のように興奮と熱気の渦に包まれていた。
大会を主宰されている高柳和之先生の大きな声が会場に響き、私の胸までが昴揚してくる。むしろ頭が平静になってくるほどの静寂と緊張の中で、一人の学者のことが思い出された。
それは、吉田光由(よしだみつよしという江戸初期の興味深い学者のことだ。『塵劫記』(じんこうき)という本を著している。江戸時代の寺子屋で初等数学の標準的教科書の定番本だ。ベストセラーで江戸時代を通じて用いられた。とにかくおもしろい内容で好評を博した。
人気抜群となり増刊・改版の数やおびただしい。
また、驚異的な需要があったからこそ狙われたのだろう。本書をイミテイトしたものもごっそり出版された。
この塵劫記の内容は、西欧で発達したような論理的数学とは異な。読み・書き・算盤の一つの柱、そろばんという実用算術を中心にしていることだ。しかも計算の仕方を憶えやすいように世俗化させている。
読者は、自分の職業に関連した頁を学習すれば、目的を完遂させることができるのである。例えば、材木売り買いの事、木綿売り買いの事、六里を四人して馬三匹に乗る事、日本国中の男女の事、船の運賃の事…などだ。実にイラストも多い。
当時の生活の具体的な実例とセットでそろばんでの計算の仕方が説明してある。ことに、当時の前衛算術であったそろばんの加減乗除法については豊富な実例があるのだ。
『塵劫記』は不思議な本でもある。巻末に他の数学者への挑戦として解答を付けない問題(=遺題)を出したりした。先出された遺題を解き新たな遺題を出すという繰り返し(=遺題継承)が始まり、この連鎖で各問題は急速に、高速化・複雑化していく。
遺題継承が盛んになるにつれて、しばしば、それまでの初等算術的な解法では限界がある問題が出現してくる。つまり世代を超えて解法が待たれる領域に次々突入していき、後世の俊英の手に解法を委ねると、バトンが手渡されていったわけだ。前進と熟成の流れは、偉大な数学者である沢村一之、関孝和、田中由真、坂部広胖と至る、世界でも例を見ない大河のような系脈をつくりだしていく。そろばんが江戸時代に飛躍的に定着したのはまったく『塵劫記』によるものだろう。
そろばんによる計算方法が日本に溶け込み、日本人の生活にそろばんが溶け込んでいったのは、この本による。そして、この本により、江戸時代にそろばんがキチンと日本に定着していたことは厳然たる事実だ。開国しても日本人が体得していた数学概念が大いに役立ち、真っ直ぐ近代化の原動力になっていく。
興奮の中で繰り広げられた熱気あふれる「全国珠算大会・そろばんクリスマスカップ2012」を天界から見つめ、『塵劫記』を著し、改版を続けてきた吉田光由先生は、大いに喜んでいらっしゃるに違いない。