『人との不思議な出会い』③
運命の仕掛けは不思議に満ちている。モハメド・アリ
埼玉県議会議員 浅野目義英

前号では、エジソンのお話をしました。列車に轢かれそうになった駅長の子を間一髪で助けたことで、駅長は深い感謝の気持ちとして電信技術を学ぶ機会をプレゼントし、エジソンは当時花形の電信技師となったのでした。このことをきっかけに、彼の発明の才能はあっという間に開花し、死ぬまでに約130
0もの発明と技術革新を生みました。当時中進国であった米国を、一気に先進国に押し上げたのは正に彼の力によるもの、という話でした。信じられないような展開と広がりです。一人の少年に突然現れた運命のしかけであり、チャンスでもありました。それを彼はずっと努力を傾けながら自分のものにしていったのです。
さて今回は不屈のスポーツマンのお話です。モハメド・アリを知っていますか?史上初の3度の世界チャンピオンになった米国の偉大な元世界ヘビー級王者のボクサーです。ヘビー級とは思えないスピードで鋭く多彩なパンチを繰り出し、弾むようなフットワークで有名でした。ここではお話するには時間があまりにも足りませんが、ボクサーにとどまらず己の信念を敢然と貫き差別とも闘いました。リングの外でも強く主張し闘いの連続の人でもありました。世界に実に大きな影響を与えた人なのです。関心があれば調べてみてくださいね。彼にどんな運命のしかけが降り注ぎ、彼はそれを手中に入れどうやって育み偉大な人となったのでしょう。お話していきたいと思います。すべては彼が12歳の時に始まりました。少年は、無料でお菓子がもらえるという理由で、バザー会場へ自転車にまたがり風を切り疾走させていました。人々が行き交うワクワクする会場で、希望通りアイスとポップコーンを食べられて彼は大満足でした。
しかし、帰ろうとした時、残念なことが起きていました。停めておいたはずの真新しい赤い自転車がないのです。「お父さんに誕生日プレゼントとして贈ってもらったものなんだ」「世界で一番大切な宝物だよ」。悲しさで胸がいっぱいになり、駆けつけた警官に強く訴えます。
そして彼はちょっと驚くような言葉を続けます。「盗んだヤツを痛い目にあわせてやりたい」。日本の警官ならまずそんなことは言わないはずですが、「ケンカの仕方を覚えたらどうだ」とその警官は彼の肩に手を当てて言いました。ボクシングジムに通い強くなることを勧めたのです。「ただしずっと続けるんだよ」アリ少年の瞳をしっかり見つめて警官は続けました。
「わかった」・・・・彼ははっきりと答えました。何ともう翌日から、彼はジムでボクシングの手ほどきを受けます。何かに取り憑かれたように無我夢中で練習を続ける彼の姿は、アイスとポップコーンが大好物な普通の少年の姿から一変していました。
どんなことがあっても厳しい練習に耐えることを覚えた彼は、ジムに入門してから8週間という驚異的なスピードで、アマチュアボクサーとしてデビューしました。ケンタッキー州ゴールデングローブで優勝、全米ゴールデングローブミドル級で優勝、AAUボクシング競技ライトヘビー級で優勝。と瞬く間にめきめきと実力をつけていきました。ボクシング界にすい星のように登場した少年ボクサーは米国中で話題になっていったのです。そしてついに6年後の18歳の時には、何とローマで開催されたオリンピックに出場、ライトヘビー級で金メダルを獲得します。前人未到を果たしたその立派な姿は周りのみんなをあっと驚かせました。
ボクシングを習い始めた滑り出しのころ、彼の心の中にあったのは復讐であり、仕返しでした。しかし、時間が流れると、そんなものよりもはるかに大きく心の中を占めるものが出現してきました。警官が言ったあの言葉「ずっと続けるんだよ」でした。自転車を盗んだヤツを痛い目にあわせてやりたい。という気持ちが次第に薄れていき、練習を継続して得られる自信と喜びが彼を少しずつ成長させていったのです。運命のしかけは不思議に満ちています。少年の所へ突然降り落ちてきたのです。
そもそもの原点は、彼が自転車を盗まれてしまったことでした。しかし、彼が警官の言葉を体にしみこませ、魂に意欲を満たさせなかったら、体中が火のようになり燃え続け、信じられないような練習を続けなかったら…。運命の不思議の出会いは、手の中に収めると、次々と連鎖していきます。自転車を盗まれ、警官の勧めでボクシングを習い始め、その後偉大なボクサーになった彼は、荒波をいくつも乗り越え、2016年6月3日に人生の幕を閉じました。
葬儀には一万五千人もが詰めかけ、オバマ大統領は「私たちのために闘ってくれました」と称え
る声明を出しました。