私はそろばんのことをよく知らなかった。翻って、妻は珠算一級で、そろばん製造のメッカ小野市(兵庫県)で生まれた。しかも銀行で働いている。何とそろばんと縁の深い人生なのかと思っていた。買い物に行くと、レジで必ずチェックしている。回転が速い、機転が利く、集中力がある。いざとなると勢いがある。羨ましくずっと遠巻きで見ていた。できればそうなりたい。でもそろばんなど、1から20まで加えるのでやっとだ。なれないに決まっている。繰り返し言おう。私はそろばんのことをよく知らなかった。
そんな私の前職は、代議士(武正公一衆議院議員)の政策秘書だった。代議士多忙の折の代理出席は、秘書たちの仕事の必須だ。ある日、事務所で、仲間の秘書が、そろばんクリスマスカップに代理出席した話を、興奮し口角泡を飛ばしてスゴいスゴいと話していた。
けれども、スゴいって何がスゴいの…?そう冷徹に静かに思い遠くで聞いていた。今思うと、その原因は2つある。
1つに、その秘書の説明力不足だ。
2つに、やはり私がそろばんのことをよく知らなかったからだ。
そんな罪深い私に、神様が出会いを用意して下さったようだった。忘れもしない3年前のある夏の日。私が倫理法人会の入会認証状をいただく日。組織に入会を認めていただく日だから緊張していた。お仲間に入れていただくに当たって、しっかりしなければという緊張だ。しかし、今思い起こすと、私の人生に取り、その緊張以上に衝撃的な日でもあった。そこに、そろばんクリスマスカップ主宰者の高柳和之先生が講師として来られていたのだ。
講演が始まった。私は口を開けていたか、目を丸くしていたかに決まっている。ご自分の人生と情熱を語られていた。雷に打たれたようになり、ぐいぐい引き込まれていった。くり出される言葉一つひとつが真っ直ぐだった。勢いがほどばしり溢れていた。話し方は流れるようだが、言葉がどすんどすんと心に落ちていった。こういう人がそろばんをやっているのか。新鮮に感嘆したのを憶えている。正直言うとそろばんに驚いたのではなくて、そろばんをやっている人物に驚いたという訳だ。
当時、仲間の秘書が、そろばんクリスマスカップに代理出席した話を、興奮し口角泡を飛ばしてスゴいスゴいと話していた。まだ見たことがなかった。クリスマスカップはスゴいのだろうとしか空想できなかった。しかし、この大会を主催されている高柳和之先生がスゴいのは、スゴすぎるのは強烈に理解できた。
人生は不思議な出会いが用意されていることを、その時は私は心底感謝した。政治家は自分勝手な思いの固まりだ。高柳先生と仲良くさせていただきたい。そして政治家は妄想の固まりだ。私の県政報告会に先立ち、毎年行っている「文化フォーラム」の講師として、必ずお話しいただこう。いや必ずそうしなければいけない。そう勝手に決意した。
かくして、私は高柳和之先生の知遇を得て、爾来大変親しくさせていただいている。念願のそろばん競技の日本一を競うクリスマスカップも、参観させていただいた。1000名超の参加者で物凄い熱気に包まれ、ハイパワーでハイスピードなそろばんの世界。精緻なのになぜか明るい子どもたちの俊敏な動きに、凡庸な私の頭脳が、「もっと動かせ、もっと働かせ」と挑発させられた。仲間の秘書が、そろばんクリスマスカップに代理出席した話を、興奮し口角泡を飛ばしてスゴいスゴいと話していたのだが、峻烈なリアルさで理解できた。
昨年11月21日の「あさのめ文化フォーラム」で、「たかがそろばん、されどそろばん」との演題でご講演も賜り、約250人の支持者に大きな感動を与えていただいた。
そろばんのことをよく知らなかった私がソロバンフリークに変身している。教育でも政治でも経済でも、内容にダイレクトにアプローチできなくても、その領域を成し遂げている人物の人間力で、そのカテゴリーが突然了解できることがある。私は、そのことを学ばせていただいたと確信している。
そろばんで、1から20まで加えるのでやっとだ。そんな私が、県議会の質問で「学校現場におけるそろばんの充実について」等と質問するようになっている。
そろばんに情熱を傾ける巨人と出会えたお陰様だ。