新校舎から堂々たる学生が生まれることを祈ります。
埼玉県議会議員
古藤学園後援会長
浅野目義英
古藤学園の在する埼玉県さいたま市浦和区を選挙区とする県議会議員として、また何より本校発展のために微力を尽くせるようにと後援会長を拝命させて頂いている者として、新校舎落成のお祝いの言葉を述べさせていただきます。
後援会長に就任する少し前に、本校古藤廣理事から「ひょっとしたら浅野目という名前は山形県米沢に縁がありませんか」とお問いかけ頂いたことがありました。
「はい」と私は驚いてお答えし、総本家は山形県東根に二十余代にわたって続いていると聞くが、私の本家は山形県米沢市に明治に入って移り住んできた。との話をさせていただきました。
すると「その米沢の当主の夫人は米沢市六郷から嫁入りされたのではあるまいか」と言われたのでした。
「はいなぜご存じですか」とますます驚いてお答えし、確かに私の伯母の浅野目美智子は、六郷の後藤家から嫁いできた。との話をさせていただいた次第でした。
縁(えにし)とは全く不思議なもので、本校創始者古藤早代子女史ご出身の古藤家と、私の伯母の出身の後藤家とは小さな集落の仲のいい家どうしであったらしいのです。
本校の前身は昭和16年4月、浦和区前地に古藤早千代女史が創設された、「古藤洋裁研究所」です。まもなく学園は、70周年を迎えることとなります。
私は、70年も前、雪深い米沢から、どんな気持ちで女史は浦和へやって来られたのだろうかと思いを馳せます。
女史は旧国鉄最大の難所板谷峠から上京したに違いないことを知っています。崖の中を突き進むこの峠が、山形内陸地方と外界を結ぶ唯一の鉄路ですから・・・。厳しい傾斜で細く長く続く板谷峠から、岩から流れ出る清水のように、理想教育の理念を携えてやってこられたことを確信し、胸が熱くなるのです。
本校は、その後長い歴史の中、時代の要請に応えながら、熟成と前進を繰り返して、何度となく学園の再構築を行ってきました。特に荒川理事長先生ご就任改革が加えられ、現在、学校法人全体として。鍼灸科、視能訓練士科、情報IT科の3つの科を擁する浦和専門学校と、CAD製図技術を専門に教えるCAD製図専門学校と、存分に発展を遂げられました。
いよいよ新校舎が落成いたします。創立者古藤早代子女史の教育への思いの結実と言えるかもしれません。
日本人、外国人、立場にこだわることのない大らかな国際人が学べるように、本校は意を配しているようです。
この校舎から、平和を望み、他のために働く、堂々たる学生が生まれることを心から祈っています。