『人との不思議な出会い』④
出会いはチャンスと説いた『柳生家の家訓』
埼玉県議会議員 浅野目義英
12月号では、世界の発明王と言われるエジソンのお話、1月号では、世界ヘビー級チャンピオンに史上初の3度もなったモハメド・アリのお話をしました。
2人とも尊敬を集め輝かしい名声を博した実に偉大な人物です。不思議なことですがそんな2人には共通点がありました。いずれも小さい10代のころに人と人との不思議な出会いのチャンスを体験していたということです。エジソンは駅長と、モハメド・アリは警官とです。そして2人とも後世には人生の転機であったと鮮明に分かる、運命の仕掛けが降り注いできたことを、子供ながらに敏感に受け入れてしまっていました。その後この運命を自分の力で丁寧に育んでいったという2人の人生を2号にわたりお話しました。しかも、『運命の不思議な出会い=チャンス』は、手の中に収めると信じられないような
展開と広がりで、次々と勢いよく連鎖していった、というお話もしました。
さて、運命の仕掛けは不思議に満ちていて、その仕掛けは人と人との出会いにあり大切なものであると唱えている例が日本でもあります。400年以上前の『柳生家の家訓』です。柳生流は刀を使う剣法の流派の一つであり、正式には柳生新陰流といいます。柳生家はその宗家です。柳生宗厳(むねよし)が開祖であり、宗厳の五男宗矩(むねのり)が,江戸時代、徳川家康、秀忠、家光の将軍3代に剣法や兵法の指南役として仕えました。その後も代々将軍家の師範役となり,江戸時代を通して最も栄え、最も多くの門弟を育てた名門流派であり、名声を博していました。その柳生宗矩が筆を執ったと言われる『柳生家の家訓』にはこう書かれてあります。
「小才は、縁に会って縁に気づかず。中才は、縁に気づいて縁を生かさず。大才は、袖振り合う縁をも生かす」。現代文に訳すと「才能
の無い人間は、出会い=チャンスに気づかない。中程度の才能の人間は、出会い=チャンスに気づくがどうすることも出来ず伸ばせない。世の中で大きな成功を収めるような人間、人から尊敬を受けるような人間、つまりとても器の大きな人間は、袖が触れ合うほどの些細な出会い=チャンスをも逃さず大切にするのだ」。
まさに、人と人との不思議な出会い=チャンスを体験していたエジソンとモハメド・アリと言えます。エジソンは駅長と、モハメド・アリは警官と小さい10代のころに小さな出会いをしていました。人生の転機となった出会い=チャンスを、その後2人は自分の力で確実に大きなものにしていったのです。
剣の道しか通用しなかった江戸時代に、宗矩が筆を執ったと言われる『柳生家の家訓』には、人と人との出会いの大切さが示されている
のは、何かミステリアスな感じさえします。しかし、恐らく宗矩は経験で知り得ていたことなのかも、時代を見つめた上での真理に気が付いたことなのかもと推察できます。
夢は何ですか?どんなことに希望を感じますか? みなさんにも、みなさんを大きくする可能性を秘めた出会い=チャンスが静かに近づい
てきます。いいえ、もうそばに訪れているかもしれません。その時、エジソンやモハメド・アリのように、手を伸ばして手の中に収めてくださいね。